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> 私にはどんな小さなものも見えた [愛について語るときに我々の語ること][ビギナーズ]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/07) Twitterでつぶやく

私(ナンシー)がふと目を覚まして窓から庭を見渡した。夫のクリフはベッドで寝息を立てていた。月夜で、庭の細かいところまでが照らし出されていた。

隣人のサムが垣根のところにいることに気付くと、彼もまた声をかけてきた。私は外に出てサムと言葉を交わした。サムはかつてクリフと仲良しだったがある時口論して以来、絶交している。両家の間の垣根は、この喧嘩をきっかけに二人がこしらえたものだった。

サムは庭でなめくじを退治していた。彼は「クリフによろしく」と言った。私は「言っとく」と応じて二人は別れた。

<参考>
[ビギナーズ]収録のウィリアム・L・スタル氏らによる解説によると、[愛について~]ヴァージョンはオリジナルの[ビギナーズ]ヴァージョンから56%の削除が(編集者ゴードン・リッシュによって)施されている。[ビギナーズ]ヴァージョンの題は『いいものを見せてあげよう』。

<感想>
『いいものを見せてあげよう』では、サムの再婚相手やその女との間の子どもについて書かれているが、リッシュはこのところをバッサリと切っている。題も当初はサムの立場に重きを置いていることがうかがえるが、[愛について~]ヴァージョンでは私(ナンシー)に比重をシフトさせて『私にはどんな小さなものも見えた』に変更されている。

隣人のサムが、前妻に先立たれ、後妻との間には白子(アルビノ)が生まれ、病気がちであることを悩んでいる描写があってこそ、深夜のなめくじ退治という行為が生きてくる気がする。[愛について~]ヴァージョンは、月夜のスケッチという意味では鮮やかだが、それ以上ではない。かといって、[ビギナーズ]ヴァージョンの題や内容が良いかというと、そうでもないのだけれど。

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> ファインダー [愛について語るときに我々の語ること][ビギナーズ]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/06) Twitterでつぶやく

両手のない男が訪ねてくる。ポラロイドで家の写真を勝手に撮影し、買わないかというのだった。

どうやら「私」は家族に捨てられて戸建てに一人で住んでいる。男は両手のない男を招き入れてコーヒーを出す。互いに家族の話を何となく交わし、「私」はあらためて家の写真を撮ってくれと頼む。両手のない男は「そんなことをしても無駄だ」と苦言を呈するが、依頼には応じる。

何枚も家の写真を撮り、「私」はやがて屋根に上って遠くに石を放る。その姿を写すよう男に頼む。

<感想>
一風変わった男が訪ねてきた、という設定なのに、いつしか「私」の方が両手のない男を振り回す側になる「転換」の面白さがある。「私」の家には、以前子どもたちがやって来て「1ドルで縁石に地番を書かせてくれ」と頼んだというエピソードが短く挟まれており、ここから二人が互いに自分や家族の話を始めるという“仕掛け”になっている。

<訳者の解題>
[愛について語るときに我々の語ること]での解題において、村上氏は「正直なところあまりに暗示的すぎていささか首を捻ってしまう箇所がないではないが(そういうところは『ダンスしないか?』のほうがすっきりといっているように思える)、話としては面白い話である」としている。

<参考>
[ビギナーズ]収録のウィリアム・L・スタル氏らによる解説によると、[愛について~]ヴァージョンはオリジナルの[ビギナーズ]ヴァージョンから30%の削除が(編集者ゴードン・リッシュによって)施されている。

[ビギナーズ]では、両手のない男と「私」それぞれが、いささか饒舌で余計である。[愛について~]は非常に良く編集が施されているといった印象で、描写の意味がそれぞれ明確になっている。例えば「私は写真に目を近づけ、キッチンの窓に私の頭が写っているのを見つけた」の後、[ビギナーズ]では描写がそのまま次に流れるが、[愛について~]では「わたしのあたまがだ。そんな自分の姿を見ていると、複雑な気持ちになった。そういうのって、たしかに人を複雑な気持ちにさせる」と付け加えられている。

また、両手のない男が、写真を撮ってくれと言う「私」に対する台詞も、[ビギナーズ]では「奥さんは戻ってきません」と具体的に言うが、[愛について~]では“誰が”とは言わずにただ「そんなことしたって帰ってきやしないんだから」となっている。微調整程度の変更であるのに、オリジナルよりもずっと効果的な台詞に生まれ変わっている。





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> ダンスしないか? [愛について語るときに我々の語ること][ビギナーズ]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/05) Twitterでつぶやく

どうやら妻と別れたらしい男が、家具一式を自宅の前庭に出して売っている。延長コードを引っ張って、まるで室内にあったときのように家具は置かれていたし、作動もした。

若いカップルが通りががかって、外に置かれた家具に興味を持ち、ベッドで寝たりテレビをつけたりした。やがて持ち主の男が帰ってくる。カップルは値切り、男は受け入れる。男はそのまま庭で酒を飲もうと持ちかける。そして、レコードをかけ、二人に踊るよう促す。若者が酔いつぶれると、娘は今度は家具の持ち主の男を踊りに誘う。

後日、娘はあの庭でのできごとを人に伝えようとするが、うまく伝えられない。

<感想>
この作品の肝は、最後の「彼女は会う人ごとにその話をした。しかしそこにはうまく語り切れない何かがあった」という一文に尽きると思う。そして、この一文はカーヴァー作品の普遍的なテーマでもあるのではないか。

<訳者の解題>
[愛について語るときに我々の語ること]での解題において、村上氏は「これほど短い小説の中にこれほど深い絶望を表現できる作家は、おそらくカーヴァーの他にはいないだろう」としている。

<参考>
この作品については、編集者ゴードン・リッシュの手直しが入る前のオリジナルの[ビギナーズ]ヴァージョンと[愛について~]ヴァージョンを比較しても、大きな違いはない。[ビギナーズ]収録のウィリアム・L・スタル氏らによる解説によると、9%の削除だという。[愛について~]ヴァージョンでは、冒頭部分が段落分けですっきりし、余計な描写や説明が所々はぶかれている。また、登場人物の固有名詞がすべて取り除かれている。

男が娘とダンスするシーンの最後、[ビギナーズ]では娘が「耐えがたいほどの幸福感」に満たされるが、[愛について~]では娘が「相当やけっぱなしになってるわよね」と男に指摘する。この点が唯一の大きな変更だ。後者は一見タンパクな態度だが、後でどこか引っかかっている自分を発見する。僕は[愛について~]ヴァージョンの方が好きだ。





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> どれを見たい? [必要になったら電話をかけて]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/04) Twitterでつぶやく

教員夫婦がいる。二人はそれぞれ別の場所(夫は東海岸、妻は西海岸に残る)で新しい仕事を見つけ、今住んでいるレストラン経営者から借りた家からは、近く出て行く必要があった。当面ばらばらに生活することになる。

家主夫婦にそう伝えると、彼らは寂しくなると言って出発前日にディナーに誘う。教員夫婦は喜んでそれに応じる。豪華な食事が出て、食後には、家主がこれまで旅してきた外国の写真をスライドで見せてくれるという。

シリアとレバノン、次にアラスカを見る。教員夫婦は「アラスカに行こう」と互いに約束していたことを思い出す。スライドが写し出されると、そこには家主と、その前妻の姿が写っている。彼らもかつて「一度アラスカに行かなくっちゃ」と話していたという。そして、実際に訪ね、やがて、家主の妻は車の事故で死んだ。家主は前妻の友人と再婚する。

出発の日、鍵を返そうと訪ねると、家主はトラブルであたふたしていた。レストランの発電機が故障して、フリーザーの中の鮭が溶けてしまったという。「腐りかけているんだ」と彼は説明する。教員夫婦は最後の最後にカヤの外に追いやられる。そして、感傷に浸ることもできず、出発する。

<感想>
作家は二人が別居することになった経緯について、
「一ヵ月前にこの話が持ち出されたときから、彼女はもう結婚指輪をはずしていた。それはある夜、その計画を二人で語り合っていたときに、怒りというよりはむしろ哀しみの故になされたことだった」
と書いている。むしろ、そうとしか書いていない。この箇所からは、夫が東海岸での就職を勝手に決めて、今の夫婦生活を終わらせてしまったようにも読み取れる。

妻は哀しみはするが、反対はしない。そして、作家は過去の二人の関係を掘り下げたり、未来の在りようを示唆したりするわけでもない。簡素isカーヴァーといえばそうだけれども、ここはちょっと簡素過ぎる気もする。

また、アラスカのスライドのくだりが、ピンと来ない。家主夫婦を見れば分かる通り、夫婦という枠組みは容易に移ろいうるものだという意味だろうか。アラスカ行きの約束を成就したからといって、そこに永遠はないと?

上の要約には盛り込んでいないけれど、娘のエピソードもある。これもよく分からない。むしろ、教員夫婦には子どもがいない方が、さっぱりしていて良いような気もする。

<訳者の解題>
村上氏は「第一級の作品とは言わない」と断った上で、「繰り返しが多く、会話の運びにいささか冗長な部分が散見するにせよ(略)、物語の奇妙なひねられ方、視点の鮮やかさ、手にとってそのままナイフで切れそうなくらいのみっちりとした抑圧感、どれをとってもまさいカーヴァレスクである」と、そこそこの評価をしている。

また、同作品の出版時の原題は『Home Movies』だが、「訳者の好み」で、雑誌掲載時の『What Would You Like To See?』を元に訳題がつけられている。

<参考>
カーヴァーの妻、テス・ギャラガーによる序文によると、この短編は1999年夏、夫妻でカーヴァー研究を行うウィリアム・L・スタルとモーリーン・P・キャロルが、オハイオ州立大学図書館の「ウィリアム・チャーヴァット・アメリカ文学コレクション」を訪れた際、発見された。『必要になったら電話をかけて』と一緒に。

いずれも1980年代初めのころの作品だろう、としている。





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> 薪割り [必要になったら電話をかけて]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/03) Twitterでつぶやく

アルコール依存症の男が禁酒施設から自宅に戻ったが、すでに妻はいなかった。

彼はバスに乗ってあてもなく海辺の町を訪れ、ある夫婦宅で間借り生活を送り始める。家のそばには川が流れていて、男はその後、何度も水音に耳を傾けることになる。

最初の晩、男が眠ると、物語はしばらく家主夫婦の視点で描かれる。夫婦も眠ってしまうと作者は「三人の人々はそれぞれに眠り、それぞれに夢を見ていた」と書く。

男はなるべく夫婦と接点を持たないように、わざと時間をずらして生活する。一方、夫婦は男に興味を持っている。男は閉じこもって自分の妻に許しを乞う長い手紙を書く。夫婦が仕事に出かけるとリビングに下り、窓から山を眺め、川を眺める。

ある日、家主の注文した大量の木材が届く。のこぎりで切って積み上げるという。男はその作業を自分にやらせて欲しいと申し出る。許可が下りると早速丸太を切断し、あるいは薪として縦に二つに割っていく。木くずが袖にたまる。やがてすべて片付け、彼は出て行くと言った。

<感想>
家主は右腕が左腕よりも短いソルという男で、妻はずいぶん肥えており名前はボニーという。この夫婦のキャラクターが別段話の流れにからんでくることはない。けれど、僕はこの三人のかもしだす景色のようなものがこの作品には不可欠であるようにも思う。

「何となくの共通性」が、三人の間には確かに存在している。確かに存在しているが、登場人物たちはそのことに完全に無自覚だ。順番に夢に落ちていくくだりは、特筆するような箇所はないけれど、どこか美しい。

タイトルは『薪割り』というぐらいだから、あくまでこの話は破綻と再出発の物語だ。そのために、前半の「ぼんやりとした美しさ」がかえって違和感として作用してしまうことが口惜しい。

物語的には男が薪を割り切ることで自分の中に何らかの区切りをつけるのだけれど、そこのところの説得力不足というか展開の引き締めの弱さはある。

<訳者解題>
村上氏は、この作品の「山の風景や、鷲の飛翔や、川の流れについての似たような描写が何度も(略)繰り返される」点を“ゆるい箇所”として挙げている。また「文章的には、小説というよりはむしろ散文詩に近い領域に足をつっこんでいるという印象」とした。

村上氏によると、カーヴァーの妻、テス・ギャラガーは同作品について『ぼくが電話をかけている場所』と『シェフの家』の中間に位置すると指摘しているという。

<参考>
テス・ギャラガーによる序文によると、この短編は作家の死(1988年)の後、机の引き出しから見つかった。しかし、彼女はしばらくそれに近寄れずにいた。10年近くが経った1998年の頭ごろ、雑誌『エスクァイア』の編集者、ジェイ・ウッドラフからカーヴァー特集の企画を持ちかけられて、初めて彼女はその未発表原稿群の存在をジェイに明かした。彼らはうもれた中から、三つの短編を取り出した。『薪割り』『夢』『破壊者たち』の三本だ。





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> 必要になったら電話をかけて [必要になったら電話をかけて]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/02) Twitterでつぶやく

それぞれ愛人を持った、破たんしかけた夫婦がある。

けれど、このまま時の経過とともに終わろうというわけではなく、彼らは息子を祖母の元に送り、別の土地に夏の間だけ家を借り、それぞれ愛人と連絡を取らない約束をして、夫婦水入らずでやり直そうと試みる。

しばらくはうまくいく。彼らは偶然見かけたハミングバードに幸運の兆しを感じる。犬を飼おうと妻が言う。釣り人と、幸運を祈り合う。

しかし、結局(いささか唐突に)、妻が降参する。「明日、飛行機に乗って母さんとリチャード(息子)に会いにいく」。夫は引き留められるだけの言葉を持たない。

最後の夜、庭に、どこからともなく白馬が現れる。妻は急に陽気になって二人は朝まで語り、踊り、愛し合う。けれど、朝が来ればやはり妻は出ていく。夫は愛人に電話をかける。

<感想>
先にネガティブな点を挙げれば、なぜ、彼らが別々に愛人を持ちながらも夫婦関係をやり直したいのか、分からない。愛人たちはよくそれを許したなという感じ。

構成としては、陰と陽を繰り返している(破たんした夫婦→やり直しへ「第二のハネムーン」+ハミングバード→妻が「一人になりたい」と言う→白馬の出現→夫婦の別離)。けれど、それが効果的かどうかは分からない。もしかすると、二人が何をしたいのか分からないと、いよいよ読者が混乱するだけかもしれない。

僕は何度もページを行ったり来たりしたけれど、やはり「必要になったら電話をかけて」という一文が本文中に見当たらない。この台詞的な題は、とすれば、描かれた場面外で誰かが言った言葉と受け取れる。僕はおそらく夫の愛人が言ったのだろうと推測する。そして、実際、夫は最後に愛人に電話をかけるのだ。

この、作品の世界を直接書いた文章外にまで広げさせる仕掛けは非常にうまいなと思う。

<訳者の解題>
村上氏は「部分的に面白いところはいくつかあるのだけれど、(略)もっとコンパクトにうまく書き直せる」と評している。そして「作者はこの短編に徹底的に手を入れるよりは、むしろスクラップにして再使用することを選んだように見受けられる。そしてそれはおそらく賢明な選択だっただろう」とも。

<参考>
カーヴァーの妻、テス・ギャラガーによる序文によると、この短編は1999年夏、夫妻でカーヴァー研究を行うウィリアム・L・スタルとモーリーン・P・キャロルが、オハイオ州立大学図書館の「ウィリアム・チャーヴァット・アメリカ文学コレクション」を訪れた際、発見された。『どれを見たい?』と一緒に。

いずれも1980年代初めのころの作品だろう、としている。

彼女は、『必要になったら電話をかけて』について「短編『ブラックバード・パイ』や詩『夜遅く、霧と馬とともに』の中心的イメージになったものを先取りしている。それら三つの作品においては、決定的な別離の場で、馬が霧の奥からミステリアスに登場する」と指摘している。





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> 破壊者たち [必要になったら電話をかけて]
【カテゴリー:レイモンド・カーヴァー】 (2009/09/01) Twitterでつぶやく

学生時代から仲の良かった二組のカップルのうち一つが壊れた。二組のカップルは四つのピースのうちの一つだけを取り替えて(つまり、デイリーからニックに)、別の形で今を過ごしている。

四人がそろっている時、壊れていない方のカップルの男(ロバート)が「善きときがあり、悪しきときがあった。好調のときがあり、不調のときもあった」と、意味ありげに言う。新参者のニックは、かつての学生時代からの「四人の幸福な関係」を自分が終わらせたことで(つまり、デイリーから妻を奪った)、ロバートからの「無言の審判」を感じとってしまう。

二組のカップルは表向き、なごやかに会話を交わしている。ニックの酒にまつわるエピソードが入る。そして、唐突に、火災が起こる。

<感想>
「破壊者たち」がなぜ複数形なのか、よくは分からない。ニックの存在を一般に敷衍する狙いか、それとも、火災を知らせに来た彼らの子供たちに何らかの意味合いを持たせているのか。

僕は子供たちの存在の意図がよくつかみとれなかった。火災現場での場面は秀逸。

<訳者の解題>
村上氏は「テクニカルな見地からすれば、この作品(破壊者たち)については、これ以上手を入れる必要はとくに感じられない。(略)ただひとつ内容的に異議を唱えるなら、アルコール依存症の問題をあえてここで持ち出してくる必要はなかったのではないか」と指摘している。

<参考>
カーヴァーの妻、テス・ギャラガーによる序文によると、この短編は作家の死(1988年)の後、机の引き出しから見つかった。しかし、彼女はしばらくそれに近寄れずにいた。10年近くが経った1998年の頭ごろ、雑誌『エスクァイア』の編集者、ジェイ・ウッドラフからカーヴァー特集の企画を持ちかけられて、初めて彼女はその未発表原稿群の存在をジェイに明かした。彼らは三つの短編を取り出した。『薪割り』『夢』『破壊者たち』の三本だ。





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