東京芸術史 ~作家インタビューと、現代アート情報 

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> 非入選作品展案とGEISAI応募<現代アート実験史7>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2010/03/01) Twitterでつぶやく

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トーキョーワンダーシードに落選した僕は、落選は良いにしても、落選したという結果以外今回の応募について何も語れないことにつまらなさを感じ、翌日には「トーキョーワンダーシード非入選作品展」構想を思いついて早速ネット上で問いかけてみました。

→番外編:「トーキョーワンダーシード非入選作品展」 アリ?ナシ?

そこで、あくまで実施予定のない「構想」であると断った上でコメント欄を開放し、賛否両論書き込んでもらったわけです。結果的に50を超える、予想を上回る数の書き込みがありました。まあ、これで新しい何かが見えてきたとは思いませんが、2010年現在、このような構想案をネット上に晒すとこのような反応が出てくるという記録にはなったろうと。

僕は「入選作品と非入選作品を並べて展示したら良いではないか」と自分で提案したものの、あくまでこれは賛否両論呼び込むためのたたき台であって、現実的であるとは思っていません。例えばワンダーシードの場合、応募1000点から100点が選ばれるということは、落選作品は900点もあるわけで、それだけの量を展示できるスペースはないし、集客も見込めないでしょう。

また、入選作品と非入選作品を並べて展示することに意味があるとすれば、それはGEISAIで実現しているじゃないかという風に途中から思い始めました。GEISAIは出展料を払えば誰でも出展でき、その中で審査員たちが上位3賞と各審査員賞を決めます。そして、賞が決定後もしばらくイベントは続く。となると、賞決定後の状態は「入選作品と非入選作品を並べて展示」した状態ではないか。

というわけで、先のエントリーでコメント欄が“炎上”していた2月の暮れ、僕は東京ビッグサイトで3月14日に開かれるGEISAI#14に出展してみようと、一番安い壁なしのブースを申し込んだのです。27000円也。幸い、ジェフ・クーンズが来日するとかしないとかで募集期限が延長されていたのでした(結果的にクーンズの来日は中止されました)。

作品は、ワンダーシードで使ったものを本来の姿に戻せばよいだけでした。つまり、ワンダーシードでは「壁に掛けられる作品」という制限があったため、不本意ながらも裏にアルミパネルと木枠、面にルーペ2つを貼り付け固定したわけですが、今回はライトパネル上に印刷物を置き、鑑賞者に自由にルーペを使ってもらうことにしたのです。


つづく

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> 「トーキョーワンダーシード非入選作品展」 アリ?ナシ?
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2010/02/16) Twitterでつぶやく

連載「現代アート実験史」から派生して、下のような展示会を構想してみました。3月6日から入選作品展の始まるトーキョーワンダーシード2010にからめた思考実験です。この構想を実行しようというモチベーションはありません。ただ、ひとまずこのアイデアに対し、皆さんから率直なご意見をいただければと思っています。

「こういう企画があるなら出してみたい」「門外漢が戯言ノタマウんじゃない」「開催するなら、もっとこういう所を詰めないと」など賛否両論、助言、叱咤激励(?)あると思いますが、何でも構いません。アンケート投票か、この記事のコメント欄を活用し、お考えを示していただければと思います。アンケートは入選作品展終了(3月20日)まで続けようと思います。

02/15/2010 管理人=Maki Abramovic

※以下はあくまで構想です。広くご意見を募集しています。
※2月28日追記:コメント投稿は、名前とメールアドレスを明記された方のみ有効とします。





トラックバック:0 / コメント:75 / このエントリー単体のURL





> トーキョーワンダーシードに落ちる<現代アート実験史6>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2010/02/12) Twitterでつぶやく

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2月11日、トーキョーワンダーシード2010の入選者発表が行われ、僕の作品『どの距離で、どれだけの眼差しを注いだなら彼を十全に愛せるだろうか』はあえなく落選しました。搬入からたった4日後ですから、ずいぶんあっけないものです。

結果を受けて、まず思いました。「はて?」。要するに、入選から漏れたという事実以外、何がなんだか分からないわけです。いや、結果が出れば何がなんだか「分かる」と思っていたわけではありませんが、少なくとも貸しギャラリーで誰もやって来ない個展を開くよりはずっと多くを学ぶことができるのではないかとぼんやり期待していました。しかし、すべてが曖昧模糊としたままで、これでは「アート実験」になりません。

もちろん公募展というものは一義的に、入選者たちを次のステップへ進ませるため、ある種の実績を与えるものです。しかし、その副産物として、入選者の10倍以上存在する非入選者たちが何かを学ぶ機会であってもよさそうなのに、それが少しもない。いや、もしかすると、入選者たちでさえ何がなんだか分からないまま、ひとまず「入選」という好結果を受け止めているのではないでしょうか。

おそらく3月6日から始まる入選作品展を観て分かることは、審査員5氏のアート観や美意識の総体でしょう。別にそれは構いません。審査というものはそういうものですし、100人以上の入選者を出す同公募展は小説の新人賞に比べれば相当に良心的と言えます。ですから、僕は公募展自体がどうのこうの言いたいのではなく、非入選者たちが「落選」という言葉の否定的なニュアンスを真に受けて「自分は劣っているんだ」「悔しい」などと素朴に嘆くのだとすれば、それは違うだろうと言いたいのです。

公募展の落選作品は、冷静に考えれば、入選に非ずの「非入選作品」でしかないということ。入選と非入選は必ずしも優劣の関係にあるわけではないのです。そして、懐疑的アート鑑賞者である僕が知りたいのは入選と非入選の間の距離感であり、非入選作品群を可視化することで、それは浮かび上がってくる。公募展の実施主体は、入選作品展を開くならば、同時に非入選作品展も開くことで、より有意義な場を提供することができるのではないかと僕は考えました。


→番外編:「トーキョーワンダーシード非入選作品展」 アリ?ナシ?
→現代アート実験史7





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> トーキョーワンダーシードに出す<現代アート実験史5>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2010/01/25) Twitterでつぶやく

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作品を制作する傍ら、それをどう発表しようかと検討してもいました。

そこで、1月末に応募締切が来るトーキョーワンダーサイト主催の「トーキョーワンダーシード2010」という平面作品限定の公募展がタイミング的にちょうど良いと考えました。

この公募展の条件は、
・壁面での展示が可能な作品
・サイズが53.0×53.0× 厚さ15.0cm 以内(10 号以内)
です。

ここでネックなのは、おそらくトーキョーワンダーシードが想定している募集作品というのは普通の絵画や写真作品だということです。壁面展示で、近づくと監視員に「作品には触れないでください」と注意されるような、よく美術館で見かける素朴な平面作品。

僕の作品は、一見何の画像が敷きつめられているか分からない膨大なデータ量を含む平面を「データベース」ととらえ、そこから「ユーザー」である鑑賞者が個々の画像データを呼び出すためのルーペを「ダウンロードツール」兼「ブラウザ」に見立てています。となると、「作品には触れないでください」というような形での展示or鑑賞は、僕の作品の成立を阻害するわけです。

しかし、まあ、ここは「実験道場」ですから、作品を世に問うてなんぼだろうと。そして、貸しギャラリーで個展を開くような非生産的な(つまり、効率的に意見が集められない)手段を取るつもりは端からなかったため、友人からの助言もあってルーペを平面上に張り付けて応募してみようと相成ったのでした。

ルーペを平面上に固定したということは、いわば、ブラウザで表示されるサイトや画像データがずっと変わらない状態なわけですから、ユーザー無視の態度と言えますし、当然不本意でした。ただ、ルーペがくっついていれば目立つことは目立つだろうし、まあ、いいや、と半ば投げやりにトーキョーワンダーシード本郷へ搬入しに行ったのです。タイトルはとりあえず、『どの距離で、どれだけの眼差しを注いだなら彼を十全に愛せるだろうか』と付けておきました。

寒さも厳しい2月初旬。作品づくりのせいで、僕の懐も必要以上に寒々としていました。


→現代アート実験史6





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> 1000lpi印刷の実力<現代アート実験史4>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2010/01/15) Twitterでつぶやく

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さてさて、僕はルーペでのぞいてもドット(網点)が見えてこず、むしろルーペで見てこそ画像の内容がクリアに把握できるほどの高解像度を求めています。そして、フォトショップ上で幅5ミリの画像データを作るだけなら数万ppiであろうが簡単に作成できるのですが、それを紙の上で実現するとなると途端に技術的な壁にぶち当たります。

写真集でも175lpiで印刷されていることを考えれば、世の中の印刷所が200lpiを超えると宣伝文句に「高精細」を掲げるのは別に過大広告ではありません。しかし、僕のやりたいことは、400lpiであっても、解像度が全然足りない。

オフセット印刷ではなく、プリンター技術の中で最高性能とされるラムダプリント(レーザープリントの一種)であっても、入稿データの推奨解像度は400ppiにすぎません。最近の家庭用インクジェットプリンターは9600dpi×2400dpi(dot per inchで、ppiと同義)などという目もくらむようなスペックを喧伝していますが、インクが同じ場所に何十粒も重ねられるため、実際は400dpi以下の解像度しかないと言われています(もちろん、普通にスナップ写真を印刷する分には十分です)。

色々な印刷所に断られたり親切にもサンプルを送ってもらいながら僕が調べた限りでは、1000lpiでのオフセット印刷が最もハイスペックだと分かりました(もっと高解像度の印刷もあると思います。ご存じの方は、是非教えてください)。そして、早速1000ppiで画像を作り、話を聞いてくれた印刷所にお願いすることにしたのです。正月気分のまだ抜けない、1月初旬のことでありました。

費用は、菊半の紙サイズで12万円也。のっけから金欠状態に陥った2010年の前途は暗澹としたものでした。しかし、1000lpi印刷は本当に素晴らしい仕上がりとなりました。敷きつめた極小画像は公園で子供が遊ぶ様子を撮影した連続写真ですが、30倍ルーペでも何とか耐えられるほどの高精度です。

下は仕上がった印刷物の縮小写真。実物は幅20センチ×高さ50センチで、そこに幅5ミリ×高さ2.81ミリの極小画像を40×160枚敷きつめており、15倍ルーペでのぞくとようやく個々の画像がクリアに見えてきます。また、イームズのパワーズオブテンのヴィジョンを紙の上で表現しようと、中央にやはり1000ppiで作成した航空写真も配しておきました。

denseimages.jpg


→現代アート実験史5





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> 印刷技術をリサーチ<現代アート実験史3>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2009/12/25) Twitterでつぶやく

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前回説明した通り、これから制作しようとしているのは、肉眼では内容をとらえきれない幅5ミリ以下の極小画像をいくつも敷きつめ、鑑賞者がルーペで情報を呼び出すことで個々の画像を閲覧するという平面作品です。

印刷物でこれを表現するためには、印刷技術についていくらかリサーチしなければなりませんでした。ご存じの通り、普通のオフセット印刷の解像度では、ルーペで拡大すると、ドット(網点)が見えてしまうからです(インクジェットプリントについては後で少しだけ触れます)。

一般の商業印刷では、175線という解像度が一般的です。線とはlpiのことで、つまり「line per inch」。1インチ(=2.54センチ)以内にスクリーン線が175本並んでいるということです。当然この数値が高くなればなるほど、細かくディテールを表現できます。

一方、写真編集ソフト上での解像度は、例えばフォトショップではppiと表示されます。つまり「picxel per inch」で、1インチ以内のピクセル数が高い方が細かく表現できるという考え方自体は、lpiと変わりません。通常インターネット上で用いられる画像は70~90ppiです。

lpiとppiは全くイコールというわけではありませんが、画像データを印刷所に入稿する際、両者の数値をある程度対応させることが肝心です。90ppiの粗い画像データを175lpiで印刷しても、魔法のように解像度が引き上がるわけではありません。ただし、逆に350ppiの画像データを175lpiに設定した印刷機に落とし込むと、一見無意味なようで、実際には175ppi:175lpiで対応させた時よりも多少ディテールが細かく反映されるようです(参照)。

また、175lpiという数値は、肉眼でドット(網点)を気にせずに写真集などの印刷物を観賞できる目安となっています。それ以上の解像度で印刷したとしても、コストの無駄というわけです。以上のことから、商業印刷では350ppiでのデータ入稿、175lpi印刷が一般的であり、新聞などの印刷物ではより低解像度で印刷されています。


→現代アート実験史4





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> コンセプトは「データ」<現代アート実験史2>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2009/12/20) Twitterでつぶやく

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さて、僕の作品構想は次のようなものです。

先に述べた通り、梅沢和木作品が本来データ的であることにどこか共感を覚えたわけですから、僕も画像データからスタートします。そして、それをそのままの状態で提示するとなると、鑑賞者側に端末の用意を強制することになりますから、やはり端的な形での物質化は仕方がないだろうと(そう決めつけたわけではないのですが、とりあえず前進)。

では、物質化しながらも、「データ性」をどう維持するか。wikipediaによれば「情報と区別した場合、データとは情報の表現であり、伝達、解釈、処理などに適するように形式化、符号化されたもの」とあります。僕の中での「データ性」とは、必要に応じて出し入れできる情報形式、といった感覚です。

梅沢作品においては、ネット上で拾ってきた画像のコラージュを紙に印刷し、さらに絵の具を乗せていくのですが、その過程でデータ性はほとんど削がれ、「ネットから拾ってきたキャラクターイメージの集合体」以上の意味合いはなくなっています(念のため断わっておくと、データ性の有無はアートの優劣とまったく関係ありません。ただし、僕が個人的に画像のデータ性に新鮮さを感じたので、その点を重視して作品を作りたいと思っているだけです)。

僕は平面上に、肉眼では十全に把握できない小ささ、具体的には幅5ミリの高解像度画像を敷きつめることにしました。

つまり、こういうことです。そこには濃厚で膨大なデータ量が存在するのに、画像一つひとつは小さすぎて人間の眼では十全に観賞することができない。小さな画像の集合体として、ぼんやりとした全体像しか抱けないわけです。そして、その極小画像は、ルーペを使えばようやくクリアに見えてくる。

サンプルAは幅5ミリの画像を横10枚、縦7枚並べたものです。
boy1.jpgサンプルA

これをルーペで拡大すると、ようやく一枚一枚の画像を観賞することができる。サンプルBはルーペをのぞいた時のイメージ。
boy2.jpgサンプルB

比喩的に言いますと、一見そこに何があるか分からない極小画像の集合体(=サンプルA)を「データベース」と考えた場合、ルーペが「ダウンロードツール」兼「ブラウザ」となるわけです。そして、「ユーザー」である鑑賞者が、平面上でルーペを移動させたりルーペの倍率を変えることで、任意の箇所の画像データを自由に「ダウンロード」して「閲覧」(=サンプルB)することができるというわけです。

以上が、平面な印刷物上でデータ的動作を実現するために僕が考えた、簡単なコンセプトです。シリーズ名は「dense images」といったところでしょうか。

言うは易しで、これをどう現実化していくか。まずは印刷技術についてリサーチしなければいけませんでした。


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> ディープ鑑賞者への道<現代アート実験史1>
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2009/12/15) Twitterでつぶやく

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「現代アート実験史」という連載を始めることにしました(※このコーナーに限って「です、ます」調で文章を書きます)。

これは懐疑的アート鑑賞者のマキ・アブラモヴィッチが、展示会やアートフェアをめぐるだけではなく、自分でアート作品を作ってみることでよりディープにアートワールドを知ろうとする試みです。アーティストを目指すための企画ではありません。

実験を始めるきっかけは、梅沢和木さんという若いアーティストです。僕は当サイトで彼についての記事をいくつか書いてきました。そこでの問題意識は、彼の作品自体に向けられたというより、むしろこのアートワールドには彼がPC上で構成した画像データのコラージュを、わざわざ紙に印刷して物質化しなければ作品として認められない事情が存在するという現実的な側面に向けられていました。

この場合、「データのままでも成立している」という作家自身の感覚と、作品を売買することで支えられている現実世界との折り合いをどうつけるかが焦点となってきます。梅沢さんは印刷したコラージュに絵の具を乗せて抽象画風に仕上げることで活路を見出し、公募展入選や海外での展示会参加などを果たし、活動の幅をどんどん広げています。

彼の作品が本来データ的であることを重視すると同時に、アートワールドで生き抜くためには結局絵にするしかないのかという落胆を僕が覚えたことは、これまでの記事で繰り返し書いてきたことです。そして、ただ文章を書くだけでなく、自分ならどういう作品を作るだろうかと悶々考えてもいたのでした。やがて、いくつかアイデアが湧いてきたので、今回実際に作ってみようと思い至ったわけです。

そういうわけで、今後この連載では、不肖マキ・アブラモヴィッチが、よりディープなアート鑑賞者となるべく、作品を作ったり出展するなどして実験的にアートワールドに関与していく様を順次(恥じらいもなく)紹介していきたいと思います。


→現代アート実験史2へ





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> 現代アート実験史・もくじ
【カテゴリー:現代アート実験史】 (2009/12/10) Twitterでつぶやく

 もくじ

 1: ディープ鑑賞者への道
 2: コンセプトは「データ」
 3: 印刷技術をリサーチ
 4: 1000lpiの実力
 5: トーキョーワンダーシードに出す
 6: トーキョーワンダーシードに落ちる


 以後随時更新

 番外編:「トーキョーワンダーシード非入選作品展」 アリ?ナシ?





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