東京芸術史 ~作家インタビューと、現代アート情報 

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> 『「peace project」総括<3>』(海里:10/02/03)
【カテゴリー:海里との会話】 (2010/02/03) Twitterでつぶやく

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Maki Abramovic(以下、M):話を戻すというか変えるけど、2005年に初めて海里から(「peace project」の)話を聞いた時に、面白いなと思ったんだけど、当時はこういう単語とつなぎ合わせることはできなくて、つまり、リレーショナル・アートという言葉がある。関係性のアート。ニコラ・ブリオーという人が「Relational Aesthetics」という本を書いてるんだけど。作者の作ったものを単純に観客が見るという構図じゃなくて、作品を契機として人々が関与し、そこにコミュニケーションを発生させるというか。例えば、リクリット・ティラバーニャというタイの作家がいて、この人は展示会場で来場者にカレーだか何だかをふるまった。
海里(以下、海):ずるいだろ。何でもアートと言えばいいだけじゃんか。
徳留隼人(以下、隼):はは。言ったもん勝ちじゃん。
海:ただのコミュニケーションじゃん。
M:だから、関係性のアート。
隼:はは。
M:フェリックス・ゴンザレス・トレスというキャンディを使った作家もいて、飴が、死んだ恋人と自分の体重を足した分だけギャラリーに置いてあるのね。それを観客が持って帰るわけ。そして、飴だからなめてなくなる。作者もエイズでそのうち死ぬんだけれど、つまり、今となっては死んだ二人の体重分が置いてあって、観客が関与していってやはり飴としてなくなるんだけれど、観客は当然、飴を取ってなめる、という物理的経験以上の何かを考える。そういう風な、コミュニケーションの契機としてのアート作品がある。何が言いたいかと言うと、海里の旅行記にしても「peace project」にしても、ある種のリレーショナルアートと呼べるんじゃないかと思ったわけ。本人たちにアートであることの自覚はないんだけど、別にアートと呼ぶ必要もないんだけど、ただ、そういう方向で重要性を示せるんじゃないか。あるアート作品が世に出て世界が変わったってことは一度もないわけ。オノ・ヨーコが911の後にイマジンの新聞広告を載せて、話題になったけど、世界は何も変わらない。
海:分からないよ。
M:まあ、具体的には何が変わったとは言えない。話題にはなることは、短いスパンで社会を動かすことと同義ではない。国会の自衛隊ナントカ法が通りかかっていたのが、世論の盛り上がりで止まった、というようなことが変わったということ。だから、直接的にアート作品が世の中を変えた、ということはない。でも、意味はある。海里の活動も、世の中を変えたかどうかはさておき、そういう関係性を皆が作っていく努力をしていけば、目に見えない影響力は広がっていくわけでしょ。そういう価値はあったのかなと。村上春樹のよく使う「涵養」というイメージでさ。つまり、(行動の結果としての)アウトプットでどこまでの社会的な実行性があるかは難しい問題で、すごい企業のバックアップがあって予算が1千万円もあり、綿密に計画を立てたところで、直接的に社会を動かせる活動ができたかというと怪しいと俺は思う。ただ、ある一人の人間がコミュニケーションしながらアメリカを横断することが無意味だと言ってしまうと、こんな(フェリックス・ゴンザレス・トレスの)飴ちゃんなんて何の意味もないわけ。はっきり言って。海里や隼人君がやったことの意味を尊重できる社会というのも、ある意味で「peace」の形だと思っていて。そんなことを(前回の録音からの)ブランクの間に考えていたわけ。俺はやれないわけだし。
海:昔、こういうことを言う人じゃなかった。
隼:はは。
海:前、帰ってきて(プロジェクトの)報告書とか書くわけじゃん。すごい空しいわけ。
M:だから、それはプレゼンテーションをして、広告効果や経済効果がこれだけあるっていうのを出さなければいけないという抑圧があるから。プレゼンテーション抑圧があるわけよ。そうすると、やってきて帰ってきた時に、海里がやってきたことは実は観念的な行為なんだよね。なのに、その実行性をこれだけのマーケティングをしたらこれだけの売り上げに繋がったみたいな数値化して説明しないと意味がないと思う、資本主義的考え方を世の中がしている。そんなプレゼン抑圧をあらゆる所に適用すると、何も出来なくなるよね。少なくともアートはできなくなるよね。
隼:でも、海里は二回目の時は、外圧ではなく自発的にそこを埋めたいと思ったんだよね。
海:最初もそうだったよ。
M:何ヶ月もやるからには、自分の中でも(社会的な)実行性が欲しいと思うのは自然だとは思うけど。いずれにせよ、俺は以上のように思いましたよ。二人の活動を見て。(海里のように)横一線で移動するのと、(隼人君のように)peaceの文字を描くのでは、客観的にはあまり差はなかったよね。横一線でも海里の方がコミュニケーションは多かっただろうし、隼人君の方は事故ったことでハプニングによる盛り上がりができたわけだよね。そういう意味で、別の意味合いはあるんだけどね。
海:身をていしたアートとは言えるかもしれないよね。
M:まあ、これをアート作品として受け取ってくれという必要はないんだけれど、少なくともそこには何らかのコミュニケーションが発生して、それを繋げていく努力はしたんだと。コミュニケーションして、その先うまくいったかどうかの出来不出来はあるんだけど、海里たちが今回あくまで単独でやったからフィードバックがなく、検証や評価がされない。ただ、海里は一つの方法として(旅行記の)本を作ってるんだけど。
海:一つ重要なことを言っておかなければいけないんだけど、「peace project」をやる前に、まずはこれ(across america projectの旅行記)をやらなければいけないと思っていた。それがけっこうデカかった。
M:本はいつまでにできそう?
海:今月に終わらせようと思って。
M:またどこか旅に行くんでしょ。
海:20代のうちに、どこか。
M:今度は完全な旅行?
海:戦争がテーマではなくなるんだけど、深いところでは繋がっていて。俺がアメリカの旅から帰ってきて一番心に残っているのは、戦争被害者と呼ばれる弱者、カッコ付きの弱者を素通りしてしまったってこと。どこを「現場」とするかの議論はまたあるけど、俺が「現場」だと思うところには行っていない。これが人のための募金活動だと言いながら、実は、自分の心の問題がその後ろに隠れていた。そのことによって、裏切ってしまった誰かが世界にいる。道義的に。自分の方に問題を引き寄せてしまったことで。
M:誰が加害者で、誰が被害者なの。
海:俺が加害者かもしれない。社会的な話ではなくて。
M:具体的に、どこに行くの?
海:国は、アフリカとかさ……。スーダンでしょ、あとは、南アでしょ。
M:どういう意味の被害者なの。どちらも内戦とかの国でしょ。
海:ピンポイントでどこに行きたいって感じで、スーダンだったら、あれあったじゃない、ハゲワシの写真とか。その写真そのものに、特定の物語に俺は引き寄せられてるから。
M:(ハゲワシの写真の写真家は)何だっけ、マイケルだったか、ケヴィンだったか。
海:ケヴィン・カーター。
M:そうそう。自殺したんだよね。ちょうどこないだ、ヨコハマ国際映像祭で、アルフレッド・ジャーというアーティストが、ケヴィン・カーターの写真を使ったインスタレーションをしてたんだよ。
海:どんな?
M:ケヴィン・カーターの生い立ちを説明して、最後自殺した、ってだけなんだけど。部屋が暗かったのが、最後にフラッシュがバーンってたかれて終わり、みたいな。
海:それはジャーナリストじゃないの。アーティストなの。
M:加えて、ケヴィン・カーターの写真は、何とかっていう組織が何とか番号で管理してます、っていう説明がある。写真って恣意的な効果とかあるわけよ。戦争の悲惨さを訴えるっていう意味で今後も資料として使われるんだけど、バックグラウンドにはこういった葛藤があるんだっていう趣旨だと思うけど。
海:ケヴィン・カーターの映画があるんだよ。20分ぐらいの。あれ、スーダンの写真なんだけど。実際にどんなところだったかって。
隼:どういう人なの。
M:南アフリカの戦争写真家で、戦地に行って写真を撮ってアメリカの新聞社とかに売る仕事をしてたわけ。ある種中毒みたいになってて、スーダンの時も、ハゲワシに狙われているうずくまった子どもを見つけて、実は大して悲惨な状況ではないんだけど、ケヴィン・カーターのファインダーを通すと悲惨な状況に見えた。腹を空かせたハゲワシが……。
海:母ちゃんとかが脇にいたんだよ、そばに。
M:だけど、ハゲワシとその子どもしかいないような写し方をしたんだよ。シャッターチャンスを待っている自分がいたわけ。ハゲワシがその子を襲うところまで待っていた。で、実際に襲いまではしなかったんだけど、それを写した後、写真は賛否両論で悩む。それで、俺は彼の遺書をTIMEか何かのホームページで見つけたんだけど、ケヴィン・カーターは「悲惨さが喜びを乗り越えてしまった」って言ってるわけ。この発言は重いよ。
海:喜びを乗り越えたってどういう意味?
M:そればっかりを撮っていると、(辛い)現実の方をまず受け止めざるをえないってことじゃないかな。
海:喜びの感情がなくなってしまったってこと?
M:感情はあるんだろうけど、悲惨さや精神的苦痛の方に取り憑かれちゃったんだろ。ある種麻薬みたいに。それを写す人間として。
海:そっちの方が魅力的だったってこと?
M:魅力的とまで書いてなかったけど、乗り越えたと。
海:乗り越えた結果、どうなったの?
M:そういう写真を撮ったってことでしょ。で、自殺した。
隼:そういうものばっかりを求めてしまうようになっていたってこと。
海:でもね、バッシングされて自殺したかは不明なんだよ。実は。そうやってバッシングされて自殺したって風に解釈すると、すごい解釈しやすいんだけど。
M:悩んでいたのは事実だよ。遠因であることは確かだ。
海:(写真は)今教科書に載ってるんだよ。中学2年の英語の教科書。
隼:自白みたいなものはあるの? 例えば、ハゲワシが子どもを食べるのが観たくてカメラを構えていた、とか。
海:それはね、NHKがインタビューしてるんだよ。
隼:どこまで言ってるの。
海:観る? DVD貸そうか。英語だけどさ。このDVDを日本語に訳したらマーケットがあるんじゃないかと思って俺動いたことがあるよ、昨年の夏。
M:(東京芸術史上のケヴィン・カーター関連エントリを見せる)これ、俺の適当な訳だから。「The pain of life overrides the joy to the point that joy does not exist.(人生の痛みが喜びを乗り越えてしまった。喜びの存在しない地点にまで)」。確かにそのケヴィン・カーターをたどる旅はいいかもね。その、彼ほど大きなものじゃないにせよ、罪悪感みたいなものを海里も感じたってことでしょ。
海:それほど大きなものじゃないにせよ、自分の中から……。
M:その戦争の痛みを、自分の糧にしてしまったという罪悪感? 自分の人間としての成長のために。その葛藤が、この海里の旅行記の面白さというか、実は本質がそこにある。小説みたいでね。
海:(ケヴィン・カーターの遺書を読みながら)「I am haunted by the vivid memories of killings & corpses & anger & pain... of starving or wounded children, of trigger-happy madmen, often police, of killer executioners...(私は鮮明な記憶に取り憑かれている。幾多の殺人や死体、怒りと痛み、飢餓し、あるいは傷ついた子供たち、すぐに撃ちたがる狂人たち(警察官であることもある)、殺人者の死刑執行人たち、それらの記憶に...)」
M:(遺書の内容)重くない? 正直だし。
海:遺書があったの知らなかった。
M:メモがあったんだよ。自殺の直前に書かれたものか分からないけど。
海:重いっちゃあ、重いよね。
M:完全に麻痺した自分の心をちゃんと吐露してる。
海:遺書の全体の文脈があったら、もっといいんだろうけど。
M:その(次の海里の)プロジェクトでは、罪悪感の免罪符として南アフリカに行くわけだけれど、すると、どんどん、生の戦争から離れていく。つまり、これ(ケヴィン・カーター)は戦争をフィルターとしてしか見られなかった人の問題だから。ファインダー越しの戦争でしかなくて、それは海里がテレビで見た911と同じで、フィルター越しの戦争を追いかけてるだけなんだよ。
海:本当の戦争なんか追いかけなくていいんですよ。
M:いや、そうやって割り切って行くならいいと思う。それは完全に個人的な問題で、「peace」から切り離されてるわけでしょ?
海:うん。
M:だから、それはそういうもんだっていうのは正直でいいと思う。
海:本当の戦争を追いかけると破滅するよ。
M:いや、まさかこの録音がケヴィン・カーターで終わるとは思わなかった。
隼:(ケヴィン・カーターは)戦争反対のために戦地に赴くの?
M:この人は、写真を売るためだよ。
海:いやあ、でも、基本正義の人だろう。人道的な。
M:最初のメディア操作の話につなげると、よりひどい絵にすれば(新聞社なりが写真を)採用してくれるわけ。硬直化した意味でのプロフェッショナリズムに陥っていて、最終的にここまで来ちゃったってことでしょ。こういうハゲワシとかいる状況に巡り会ってしまった不運があるよね。これでピューリッツァー賞獲ったわけだし。中途半端な写真を撮り続けていればよかったのに、こういう状況に巡り会ってしまい、ついシャッターを押してしまったんだよ。
海:でも、この人は南アフリカの黒人差別でさ、黒人の首にタイヤかけて火をつけるネックレスっていうリンチがあるんだけど、それを初めて報道写真で撮った人で、キャリアがあるんだよ。
隼:仮定の話でさ、彼が弱者救済のためにより悲惨な作品を撮ることを目指していて、そのことで非難されることも重々承知で、現場にいる一人を見殺しにする罪も重々承知で、でも、その背後にいる多くの人を救うためにより悲惨なものを撮らなければいけないっていう使命感を負っていたとすると、個人的にどう思う?
M:(ケヴィン・カーターも)そうだったんじゃないの。建前では。
隼:許せる? 食われる瞬間を待つかどうかの二択だとすると?
海:俺は(写真を載せてる)教科書もそうなんだけど、その二者択一に問題があると思う。
M:はは。海里の好きな二者択一だけどね。
海:その二者択一にすることで見えなくなることが、彼を死に追い詰めたんだよ。

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> 『「peace project」総括<2>』(海里:10/02/03)
【カテゴリー:海里との会話】 (2010/02/03) Twitterでつぶやく

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Maki Abramovic(以下、M):なかなか、実質的な、海里の言っていた社会的意味合いっていう部分が、これ(隼人君の「peace project」)にどれだけあるかっていう問題はあるよね。今の(隼人君の指摘した米国人との)コミュニケーションのすれ違い一つとっても準備不足と言えるよね。一度(2004年のacross america projectで)体験してる海里からすれば、想定の範囲内なんじゃない?
海里(以下、海):でも、「peace」って言う誰もが知っている単純な概念さえ、その解釈にこれだけの違いが出てしまう驚きだよね。「peace」の意味にずれがある。
M:海里の時もあったんでしょ? あの時は「peace、peace」とは言ってなかったんだっけ?
海:「Why can't we stop the wars?」としか言っていない。そういうチラシを持ってさ。実は「peace」とは言っていない。でも、「peace」な野郎だって皆単純に解釈してた。(帰国後に取材を受けた新聞で)「平和を祈る旅」とか書かれたけど、「peace」とは言っていない。
M:「Why can't we stop the wars?」でもすれ違いがあって、それをもっと単純化した「peace」でも解釈の差があることの面白さは、意義があったんじゃないかってこと?
海:俺の場合は、そのズレは苦痛でしかなかったよね。なぜ、「戦争はなくならないか」って(問いかけた2004年の)一回目の旅の時は、その解釈の差を埋めるために色んな人と話そうとしたってことなんだけど。戦争を擁護する人もいれば、そうじゃない人もいるだろうと。でも、(peace projectの準備段階で)俺と隼人君の間でこんなに食い違うとは思わなかった。
徳留隼人(以下、隼):方法論は違ったけど、解釈はどれだけ違ったんだろう。
海:でもね、俺はかなり隼人君寄りの解釈になってきたよ。(隼人君と一緒にpeace projectを計画準備していた)当時は、戦争での銃弾の数とか地雷の数とか考えていたけど、今は電車でメロンが転がってきて皆が微笑むというのを断片的な「peace」観と言っても過言ではないと。
隼:懐かしいね。俺が当時言っていたのは、もっと個人に密着した「peace」観で、アメリカ人が自衛のための戦争だって言うから、それを一個人に置き換えたら自分の大切な人を守るために人を傷つけるようなシチュエーションだったとすると、それが許されるか許されないかっていう価値観に置き換えてたんだよね。「peace」観としてね。それに対して、海里は地雷とかに興味あったね、やっぱりね。アフリカに行って書くっていうアイデアもあったよね。
海:「save」。その線はまだ消えてないよ。アメリカの「save」は割と普遍的だよ。
隼:今海里がアフリカに住んでいる子と恋愛して、その子が地雷を踏んで死んだら行く?
海:はは。知らねえよ。考えたこともない。
M:「peace」について(現地で)議論にならなかったことと、解釈にずれがあったことは違うでしょ? 海里の、across americaについての旅行記では、そういう概念の違いの話があったよね。「peace」の意味合いの違い。
海:弁護士だろ。「There is no way to peace, peace is the way.」という言葉を残してくれた弁護士がいて。ええと、俺ね、旅行記を本にしたんだよ(と言って本を取り出す)。
M:え? ああ、手作りでかっこいいじゃん。何で教えてくれないの。
海:色んな人にお世話になったから、配ろうかなと。
M:きれいにできてるね。
海:紙が売ってないから、自分で買ってきて切らないといけない。
M:まあ、いいや、さっきの。
海:弁護士が出てきて……。
隼:ワシントンでしょ?
M:最後のね。
海:で、そいつが同性愛者なわけじゃん。(以下朗読)「僕の大好きな言葉を贈るよと言って、『There is no way to peace, peace is the way.』 平和へ至る道はない。平和とは常に過程であり続けるということ。彼の言う平和とは、単に戦争がない状態を指すのではないのだろう。あらゆる人種のあらゆる信念を持った人々や、自分らしく生きようとすること、その過程をすべて平和と言うのだと思えてならない」。
M:と言ってたと。
海:このタイミングで(店内に)『we are the world』が流れるところがいいね。
M:それで、海里はその弁護士さんの言葉をどう思うの。賛同する意見なのか、そうではない意味の平和があるのか。難しい質問だとは思うけれど。いいこと言ってるもんね、この人。
海:でも、よく考えたら、これとまったく同じ意味のことを、この旅のための企画書に書いてあったんだよ。
M:それは何の資料? 自分で書いた文章ってこと? 自分で同じこと言ってたってこと?
海:そういうこと。
M:じゃあ、共感するというか、同じ信念というか。でも、海里は、平和とは過程であり続けるというよりは、平和に向けて努力し続けなければいけないって意味で言ったんじゃないの? この弁護士の場合は、良き未来への過程において、良き未来に向けて努力するその様が平和ってことでしょ。おそらく。
海:俺は「Peace is not the result, but always the process」みたいなことを書いてたんだよね。
M:ああそう。何のプロセス? この弁護士の場合も、何への道なの。良き未来ってことでしょ? そのプロセスを「peace」って言うの? ある種の諦めが二人にはあるってこと?
海:諦めっちゃあ諦めなんだけど。でも、完全な「peace」の状態を皆目指してできないんだけど、できてないんじゃなくて、その過程で実現してるってことなんじゃないの。過程でやってることに意味があるってことでしょ。
M:意味があることが「peace」ってことなの?
海:そこにしか意味がないから、そこを「peace」って呼ぶべきなんじゃないのっていう。
隼:「peace」のあるところにたどり着くことが「peace」じゃなくて、そこに向かう過程が「peace」ってことは、目指す先には何もないの?
海:いまだかつて実現したことのない理想の世界なんだけど、じゃあ、誰も「peace」な瞬間をタッチしたことないかというとそうではなくて、そこへ向かう運動に加わっている人はゴールには到達しないけど、過程で「peace」に寄与してるんじゃないかってこと。
M:そこがある意味レトリックなんだよ、今の話って。つまり「peace」の定義を避けて、「良き未来」っていうのを勝手に想定して、そこに向かう過程を「peace」って言うんだけど、今度は「良き未来」の定義がばらばらなわけ。
海:ああ。
M:だから、分かったようなことを言っているんだけど、実はどこに向かっているかが分からない。だから、「良き未来」に関して言えば「文明の衝突」が起きてるわけじゃん。「良き未来」を違う意味でとらえ合っている人たち同士の「衝突」がさ。隼人君はレトリックを避けて、単刀直入に「peace」を掲げたんだよね。それが何を意味するのか。
海:隼人君の「peace」観はね、限りなく「happiness」に近いと思うんだよね。俺の解釈では。それでもいいと思うけど。
隼:「happiness」はかなり必要な要素だよね。かなり内的な問題なわけ。共通の「peace」を目指すことは諦めていて、そこに自由を認めてるわけ。
M:どういう「peace」を目指すかの自由ね。
隼:この「peace」を皆で実現しましょうということではなく、自分の心の中に「peace」を築くことが「peace」であると。
M:そうなると、一人で走れって話になるよね。
隼:全体主義ではなくて、60億人がそれぞれ違ってもいいから、それぞれ心の中に「peace」を築くことが「peace」かなと。
海:それは欠片の方の「piece」なんじゃないの。
隼:だから、「a piece of peace project」なんだよ。
海:どっちがレトリックだよ。
M:はは。めちゃくちゃな話だね。それで「衝突」するんだって話をしてたでしょ。ただ、分かるよ、気持ちはね。信じるしかないんだよね。お互いの「peace」を信用し合うしかないわけでしょ。相手の「peace」が、自分の殺害かもしれないんだけど。
海:そこはどうするの。(一方の)「peace」を実現するための戦争は許されるの。
隼:それを(プロジェクトを通して)知りたかったんだよ。互いの利益がぶつかるように、互いの「peace」がぶつかるわけだよ。その理由でアメリカが戦争しているわけだから。そのための戦争を認めることも俺はあると思ってる。
M:え? 戦争を認めるって話?
隼:認めざるをえないと。
M:はは。え? もう一回説明して。突然話が分からなくなった。
海:ははは。「war」も「peace」だ、みたいな。
M:訂正してもいいよ。戦争もありって部分。
隼:あり、じゃないよ。ありうる、って話。
M:ありうる、は当たり前でしょ。むしろ現実に起きてるんだから。
隼:個人的な思想で言うと、互いの「peace」が衝突しているという解釈はしていない。「peace」が欠落しているから衝突が起きていると思ってる。
M:別の国の化石燃料やらを我がものにすることが、自分の国民の「peace」だと考える場合、戦争をしないでその「peace」がどうやって手に入るのかという問題は?
隼:何でも「peace」に置き換えると矛盾が生じると思う。
M:「peace」の定義が無いからでしょ。すぐに「peace is the way」みたいな話になっちゃって、「way」はどこに続いているんだって言ったら「良き未来」だとか言って、実は「良き未来」はばらばらだと。
隼:さっきの石油の例で言うと、(石油を我がものにするための戦争は)それは俺の定義する「peace」ではない。
海:俺の定義する「peace」って何だよ。はは。
M:話が面倒くさくなってきたあ。
海:戦争がありかもしれないって言うから、話がこんがらがっちゃってさ。
M:はは。Imagine all the people, Living life in peace.だよ。
海:俺は、対立を武力に転化しないことが「peace」だと思うね。男の男のリビドーのぶつかり合いを、スポーツでやってるのはピースだと思うね。
M:それはあるね。
海:対立はあってもいい。
M:スポーツだけでなく、外交的な、国際ルールにのっとった解決ができないかって思うよね。シーシェパードの問題でも、国際ルールでオーストラリア政府はどうにかできないものかと思う。それを互いのメディアが互いの感情をかき立てるだけのやり方ではどうかなと。スポーツでも良いんだけどね。戦争するよりはね。あと、北朝鮮や中国が、西欧スタンダードの国際ルールに準じる理由があるかどうかという、冷戦構造の名残の問題はまだあってさ。実は冷戦後も、(北朝鮮や中国との関係は)国際ルールにのっとった大人の付き合いではなくて、実は牽制し合っているパワーバランスだっていうのは変わりなくて、それは戦争がないという意味では「peace」なんだけど、バランスが崩れた時に本当に「peace」が保てるかって危うさはあるよ。
海:パワーバランスよりは、牧歌的な「peace」がいいと思うけどね。
隼:「peace」の定義を考えたんだけど、結論を言うと、個人でも国レベルでもいいんだけど、同一性を求めるのではなく、違うものに対して排他的になるのではなく、違っても互いに尊重し合うことが「peace」かな。全体主義的な「peace」を求めると、(「peace」を統一させる過程で)衝突が起こるかなと。
海:でも、北朝鮮みたいに洗脳されて個性がなくなって、誰もケンカしていないし、戦争もしていなかったら(それは全体主義的な「peace」ではあるけれど)戦争しているよりマシだってならない? 個性はないけど、争いもない。
M:そういう(北朝鮮のような)状態は、ある意味での抑圧があるわけだし、国内レベルですでに排他的になってるから、当然問題あるでしょう。俺が気にしてるのは、お互いに尊重し合うことが「peace」なんだけど、でも、そういうことが実現できても衝突は起きうる。さっき(化石燃料の奪い合いの例で)言ってたよね。それを、しょうがないと思う的な発言があったけれど、しょうがないと思いながら「peace」は謳わないでしょ? 衝突は起きうるのだけれど、あってはならないという意味なのかな。戦争が起きても仕方がないと思いながら「peace」を掲げる矛盾はあるよね?
隼:「peace」の対極には多分、戦争は想定されてない。
海:隼人君の話は、聞けば聞くほど何も言っていないことと同じじゃねえかと思うことがある。
M:「peace」な状態にしたいから、アメリカに行ったんじゃないの?
隼:そうだよ。
M:何となく分かってきたのは、「peace」になることは、戦争になることと違う次元の話だってこと? 皆が「peace」になっても戦争は起きうるっていう。
隼:いや、違う。皆が「peace」になると戦争はなくなると思うんだけど。直の対極ではないけど、「peaceful」じゃないから戦争が起きてる。
M:石油の話に戻ると、相手を尊重してるけど、利害関係で、我が国の生存のために中東での利権を確保しておきたい、というのはあるよね。しょうがないんだという。
隼:ありかなしか、というのと、「peace」であるかどうかは違って。自分の大切なものを守るために、他者の利益を一部損なうようなことをすることは仕方がない局面もあると思う。
海:局面もある? 全然平和活動家じゃねえ。
M:石油の話に引きつけると、判断としては仕方がないと。でも、「peace」原理主義者の海里からすると、例え、自国の国民がやばいと。太平洋戦争でも日本が資源確保で八方ふさがりになって始まったわけだから、それでどうにかしなければならない時に、それでも他国を尊重するか。「peace」にならなければならないのか。自国の国民のためには打って出なければならないのか。「peace」原理主義者なら、どういう状況であれ、打って出ないだろうと。
隼:それは前に海里とよく話したんだけど、俺は自分の愛する人に銃を向けられたら、俺はその銃を持つ人を殺すことはありうると今でも思っている。それは「peaceful」ではないけども。
M:ちょっと、訳分かんなくなってきたから、オシマイ! ははは。要するに現実レベルのことは皆分かっていて、だから戦争が起きてるんでしょ? だから、非現実的だと言われながらも「peace」を訴えることの意味は何か、という問題だよね。さっきから言っているように「peace」は実現したことのない状態なんだから、一種のユートピア思想なんだけれど、それをあえて訴えることの意味をやる人は考えなければいけなくて、「peace」を訴える人があまりにも現実的なことを言っていると、それは当たり前のことを言っているだけで……。
海:でも、俺はどこか現実に着地して欲しかったんだよ。
M:分かるよ。分かるけど。
海:「peace」って何なのって時に、一人一人の「peace」を実現してください、っていうのじゃ、俺は納得しない。その「peace」はおまえは何なのかって言わないと、リスクのあることをやらないと、メッセージにならないと俺は思っていた。つまり、ポジションを取るっていうかさ。「peace」の解釈はいかようにもなります、大事です、皆でやりましょう、っていうのだとさ、何も言っていないことと一緒なわけ。俺の考えでは。
M:分かるよ。分かるけど。訳分かんなくなってきたわ。
海:っていう議論を毎週末やっていて、疲れるっていうところを想像して欲しいんだけど。
M:よく分かった!
隼:はは。
海:はは。
M:飲むしかないな。こうなったら。俺も基本平和を夢見てるけど、戦争が完全に回避できるとは思っていなくて、それはさっき言った利害関係の問題とはまた違って、仮にいったん平和になってもハミ出る国が絶対あって、どの国の犯罪発生率を考えたって、絶対起きる。それを鎮圧するための武力が絶対出てくるでしょ。籠城攻めをすれば向こうがミサイルを撃ってくるかもしれないわけだから、やはり鎮圧しなければならない。そのための武力行使は絶対に出てくるなという認識がある。そういう意味では戦争はなくならないだろうと。
海:鎮圧する部隊の妥当性みたいなのもあるよね。アメリカがずかずか行くよりは、国連の部隊が行った方がいいし、じゃあ、国連の平和部隊に偏りがないかっていうと、そうでもない。怪しいけど、アメリカ一国よりはいい。
M:さっき(海里が来る前に)隼人君と話していたんだけど、アメリカが国連決議を無視して動くのは、それは国際ルールからの逸脱であって、問題だと思ってるんだけど、それっていわば国連における民主主義を絶対視した物の見方で、中国なんかはそもそも社会主義国なわけで、その社会主義国が何故国連の民主主義に従わなければならないのかという問題があって。
海:でも、国連に加盟してるじゃん。
M:国連に加盟するからといって、別に民主主義に従う必要はない。例えば拒否権というのは民主的じゃない。だから、そのあたりのパワーバランスは出てくる。多国籍軍もどこがイニシアチブを取るかという争いも出てくるし、運用上、難しい問題が出てくる。難しいんだけど、ファーストステップとして国際ルールを意識しようというのは欲しいよね。プロセスとして尊重し合うところから入る。その先が「peace」じゃない結果になっても、手続きとして。筋通せよという。
隼:自分(Maki)にとっての「peace」の定義は?
M:単純に、争いがないことが「peace」。広い範囲で。
海:いじめとか?
M:「peace」じゃないよね。
海:受験競争とかは?
M:それはルールにのっとっている限りは「peace」だよ。受験競争に乗っかるかどうかは自主的な選択なわけだから。ただ、親が抑圧するとか、受験戦争に参画しないとダメ人間だというような社会状況があるとすると、「peace」じゃない。
海:経済競争は「peace」じゃない?
M:経済競争は基本的に問題ないでしょう。ただ、そもそもスタートラインで同じ条件で参加できない弱者がいるわけで、そこは行政がセーフティネットを張っていかないと。そこは市場原理ではカバーしきれないから。

→「peace project」総括<3>

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> 『「peace project」総括<1>』(海里:10/02/03)
【カテゴリー:海里との会話】 (2010/02/03) Twitterでつぶやく

kairihayato.jpg09年2月、隼人君(左)が帰国直後の写真。

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※2004年、海里は自転車で米国横断しながらイラク戦争の是非を問う「ACROSS-AMERICA」プロジェクトを完遂。05年からは、自転車に設置したGPSの軌跡で大陸に「peace」を描く新プロジェクトの準備に入ったが、断念し、一緒に参加する予定だった友人の徳留隼人君が一人で08~09年に実行した。今回は隼人君を加えた3人の鼎談。

海里(以下、海):3人で話をする意味は何なわけ。
Maki Abramovic(以下、M):2005年から(海里の話を)録音していて、海里は「peace project」をやろうとしていて、自分の中の疑問に答えきれず、参加者とか物理的な問題と両方だと思うけれど、止まったんだよね。結果として。
海:止まったね。
M:そうこうしているうちに、俺が知らないうちに、隼人君が走ってたんだよ。
海:走ってた。
徳留隼人(以下、隼):はは。
M:あれ?みたいな。少なくとも録音が1、2年止まっていて、隼人君が一人でプロジェクトを成し遂げて戻ってきて、すぐに三人で録音しようと思っていたんだけど、(隼人君の帰国直後に)集まった時の場所はそういう感じじゃなかったから。あらためようと思ってたんだけど、隼人君が直島に行っちゃったりして。
隼:その週にもう一度日程が合わないかってやって、無理だった。
M:(今回3人で録音することの経緯は)そういうことです。peaceプロジェクトはいつからいつまでやった?
隼:2008年の4月19日に日本発だね。その前に江ノ島を走って。
M:練習で。
海:あれから二年すか。昨日のことのように思う。
M:一緒に走ったの?
海:出発一週間前でも、(隼人君が)自転車の組み立て方が分からないわけ。だから、一緒に行ってさ。
M:四月の頭くらい?
隼:そうだなあ。体力的な練習は一番後だった。それはまあ。
海:走ればなんとかなるって話でしょ。体力なんかいらないんだよ。
隼:システム関係が(出発)前日で完成したって感じだったから。(GPSで)マッピングするっていうのが、前日初めてできた!と。
M:経緯は分かったけど、話の始めとしては、海里が納得できなかった部分がある中で、隼人君はとりあえず行動した。(帰国直後の)一年前に個人的な動機が強かったって話は聞いているんだけど、あらためてそこを話してもらいたいなと。整理整頓すると、海里には、どういうところが納得できなかったかを話してもらいたい。
海:おれ? 俺はね、納得行かなかったというか、隼人君と(打ち合わせを)やっていて疲れたね。二人でやろうって言っていて模索していて、とにかく噛み合わなかった。前回(2004年に)アメリカに行った時に、被害者への募金とかやってたでしょ? 社会的なアウトプットになるような。もちろん思いも大切だけど、外部に客観的に作用する方法を模索したんだけど、隼人君は外部世界に着地しないというのが当時俺がすごい感じたことだね。その差が話せば話すほど顕著になっていくことに結構疲れた記憶があるね。
M:なるほどね。それぞれ別の趣旨でやろうという話にはならなかったってことね。やるなら二人が同じ認識を持ってやりたかったと。
海:そうだね。
M:当時は噛み合わないけど、それぞれ別の思いで一緒にやるっていう選択肢もあったわけでしょ?
海:それはなかったね。
隼:懐かしい。何となく思い出してきた。そういう試みも若干したと思うけどね。
海:いやあ、でも、それは無理でしょ。選択肢にはないね。
M:海里一人でやるっていうのは?
海:なかったね。
M:何で?
海:元々(peaceプロジェクトが)俺の思い付きってわけではないわけじゃない。発起人みたいな人がいてさ。だから、当時の俺の位置づけは、アイデアを持っている人がいたから、そのアイデアをどう膨らませるかというのが自分のポジションだった。一人でやるっていうのは(選択肢に)なかった。皆でやりたかった。
M:今振り返ってもそう思う?
海:途中からどうでも良くなったけど、一人でやる案は出てこなかった。
M:ただ、そのうち隼人君が一人でやると言い出した。言い出した時はどう思った?
海:何をやるんだろうな、と思った。全然違うことをやろうとしているんだろうなとは思ったね。
M:「peace」と自転車で描くんだけど、趣旨が違うという意味?
海:俺らが議論していた時に話題の中心にあったこととは別の何かをやるんだろうなと。違うコンセプトのことをやるんだろうなと。
M:行為は同じだけど、コンセプトが違うと。
海:文脈が違う。やるわって言われた時、何て思ったかなあ。
隼:俺、そのシチュエーション、めちゃくちゃ覚えてる。
M:隼人君はその時、どういうつもりだったの。海里は落としどころが見えてないし、自分はやりたいしで、一人でやるって言ったわけでしょ?
隼:海里が途中で下りて、俺だけずっとやりたくてモチベーションを抱き続けていたわけではなくて、むしろ俺が下りたに近いと思う。最初二人でやろうって言っていたのと、自分一人でやろうとしたことは中身が全然違くて。
M:うん。
隼:俺が下りたことによって(プロジェクトが)実現しなかったことによる海里への申し訳なさがずっとあって。二の足踏んでいたのは完全に俺の責任だと思っていて、9:1ぐらいで俺の責任だって。俺がもっと何かすれば形になるかもしれないけど、俺のせいでプロジェクトが起動していないなと思っていて、海里に「そろそろ終わりにしようか」って言われた。「無理じゃね?」って。本当にこれで終わりなんだなってまざまざと実感したのはその時だな。
M:ショックだった?
隼:ショックと申し訳なさを何ヶ月かは引きずってたな。
M:そこから一人でやるというまでの流れは?
隼:海里への申し訳なさと自分のふがいなさを引きずっていて、その中で自分一人でできるものを残して、そぎ落としていったのね。すごい裏切っているし、責任も取らないといけないから、人を巻き込んじゃいけないなと思って。また自分の責任で動かないっていうこともありえたから。一人でやるしかなくて。
M:海里と散々話し合って、自分のせいでプロジェクトが動かなかったという負い目があったからこそ、一人でやるほどに追い込まれていたと。海里は一人でやる選択肢はなかったけど、隼人君には一人という選択肢しかなかったってことね。
海:そこは、考え方が180度違う。
M:プロジェクトの本質とまったく関係ないけどね。
海:はは。個人的な。
隼:決定プロセスの思考回路が違うね。
M:これは互いのコミュニケーションの問題だよね。コミュニケーションの齟齬と義理立てと。
海:一番重要なのはね、やるだけのエネルギーってやっぱ要るわけじゃない。それだけのエネルギーがそこまでに達さないとやれないわけよ。隼人君はやった人間としてそのエネルギーがどこから来たかっていう。
隼:偶発的だよ。
海:偶発的でいいんだよ。人はそれほど論理的にできていないって思うのね。
隼:それはまったくプロジェクトの本質と関係なくて。
海:関係ないんだけど、俺はそこが人間の一番面白いところだと思うわけ。
M:衝動的な?
隼:すごい単純な話で、その頃ドコモショップで携帯販売の仕事をしていたわけ。派遣で。何でその仕事をしていたかというと、海里とのプロジェクトをやるために、正社員で長く続けられないから、携帯の仕事をしてたわけ。でも、海里との話が破綻した後もその仕事をずるずる続けてて、別に転職しても良いはずだったんだけど。ずるずる。その中で、彼女と付き合ってて、そのずるずるしてる仕事に彼女が出てくると、何か身動き取れなくなってくるわけ。日常から抜け出せなくて。
M:そういう生活になっちゃってたわけね。
隼:アメリカのこともだんだん霞んでいくわけ。携帯の仕事はpeaceプロジェクトを実現するために最適な仕事として始めたのに、(プロジェクトが)なくなった後も続けてて。物理的にも動けなくて。その中で、彼女と別れるタイミングが来て、別れる原因が実はpeaceプロジェクトだったりして、「何でやりたくもない仕事を続けてるの」と彼女に言われたりすると、またpeaceプロジェクトが頭によみがえってきて。転職すればいいのにって話になってくると、やっぱりプロジェクトのために始めたし、まだやりたいなっていうのはくすぶっていて。
M:彼女に指摘されるたびに思い出したんだ。
隼:うん。で、諦めないといけないのかなって固まりつつあって。でも、彼女と別れることになると「仕事+彼女」だったのが、仕事しか残らなくて。
M:別れたの? それで留め金が外れたと。
隼:めちゃくちゃその通りで、彼女と別れた時に何でこうなったかと考えたら、やっぱりアメリカに行きたいって思っていることが根本的な原因だと思った。
M:もやもやしたものがあって。「何で、やりたくない仕事をやってるの」っていう彼女の質問にも答えられないと。
隼:プロジェクトの話もしてるんだけど、彼女は同調しなくて「そんな訳の分からないもののために何ヶ月も待てない」って。
M:でも、別れたんだ。
隼:アメリカに行くから別れようって言ったわけじゃなくて。
海:別れたから、行ったんだろ?
隼:別れを告げられた時に、何で彼女と向き合えないのかなって考えて。
M:はは。ま、むずかしいところだな。話がぐるぐる回ってる。自分の中の感情的な問題ね。
隼:それで別れを告げられた次の日に、仕事の上司に辞めさせてくださいって言った。
M:次の日? 早いね。
隼:今言わないと、ずるずる続くって思って。
M:で、海里に言ったのは?
隼:それから一カ月経って、海里が遊びに来た時に見せたいものがあるんだって。全米の地図にpeaceってピンクの蛍光ペンで描いたのを見せた。
海:そしてたら、俺、何て言った?
隼:これはどきどきするな、とか、そういう反応だった。よくこの線を引くまで行ったな、とか。
M:ああ、海里と話している時はまだコースとか決まってなかったんだ。
海:コースはどうにでもなるっちゃなるからね。
M:分かるけど、具体的なことはまだ決めてなかったんだ。
海:(話合っていたのは)もっとメタな部分。
隼:もっと何をやるかっていう。
M:peaceっていう文字を書こうっていうのはあったでしょ?
隼:あれも盛り込みたい、これも盛り込みたいっていうのはあったけど、そのうちのどれを選択してどう形にしようかってところまでは話がいってなかった。
M:アイデアの盛り込み合いみたいな? でも、俺は、海里が言っていたプロジェクトのイメージ通りのことを隼人君がやったのかなって勝手に感じたんだけど。アメリカ大陸にGPSでpeaceと描く、というシンプルな話だったでしょ?
隼:海里はそれじゃ足りなくて、次を見つけなくちゃっていう風になっていて。当時は、(自転車で)走りながらインタビューをするために、ある程度社会性を帯びた人をルート上に設定できればいいねって。そういう話もあったね。NGOに興味を持ってもらうためのWEBの仕組み作りをしようとか。あと、ワンクリック募金みたいな、もっと多くの人が興味を持ってお金が流れる仕組みができないかとか。
海:NGOの、JANICだっけ。訪問してたよね。
M:JANICって?
海:NGOを束ねてるNGOみたいな。
M:そんなのがあるの?
海:行ったけど、(話が)まとまってないから、何だこいつらみたいになっちゃって。
M:相談しに来たみたいになったんだ。
海:相談もさ。するところも間違っててさ。噛み合わなくて。何かヒントが欲しいって感じだったんだろうね。動かなきゃしょうがないっていう。
M:アイデアが増えれば増えるほど方向性を見失ってたみたいな?
海:何でもできる反面、どういう落としどころにすべきかが分からなかった。決めるのは何かというと、やる人間の個人的な人生の中から何かがないと決まらないんだよ。
M:根本的な動機にね。
海:例えば、地雷で足を失って義足でマラソン走ってる人とかいるわけじゃん。その人たちは、ちゃんとリーズンがあるわけ。同じ事を他の人がやることは物理的にできるんだけど、本当の動機はその人にしかないんだよね。だから、隼人君が2万キロ走るための理由が失恋だったというのは、それしか隼人君を2万キロ走らせられないんだよね。
M:失恋だったのかね、理由は。
隼:失恋でまとめられると…。
M:ははは。
隼:海里に対する申し訳なさもあるし、いろんなことがあって。
M:とにかく、今日話したもろもろのことね。
隼:もろもろの閉塞感が理由。
M:だから、両立しなきゃいけないってことでしょ。海里としては、(社会的に意義のある)アウトプットも必要だけれど、個人的な真なる動機も両方必要なんだけれど、まとまらなかったのかな。社会性も確立できず、自分の中の迷いも解決できず。
海:社会的な何かが定まらないということは、自分が社会的な理由を持たない人間じゃないということだよ。その時点ではね。
隼:当時海里は、社会的な理由なんてなくていいんだって言ってたと思うよ。俺たちにそんな理由がないことは分かってるって。
海:そんな義足で走るみたいな理由が(自分たちに)ないってことは分かってたんだよ。でも、やることに意味があるっていう前向きな物があった。実際にそれをやるってことは、他の何かをやらないってことじゃない。そういう選択、(プロジェクト達成のための)1年を使うためには、やっぱ理由が必要なんだよね。それで理由がなかったから、最終的にできなかった。
隼:それはプロジェクトをやる理由じゃなくて、踏み出す理由がなかったんじゃないの。
海:同じじゃないの?
隼:違う。もともと俺たちにアメリカに行って「peace」と描く必然的な理由が存在しないことは分かってたでしょ。プロジェクトのための理由はなくていいって当時肯定していた。それでもやることの理由は必要だった。理由がないことをやるための理由が絶対的に必要で、それが見つからなかった。
海:設計図を書く自由はあったけど、本当に1年間かけて現実の世界にその建築物を建てるのかよ、という覚悟がなかった。
M:隼人君は、だからやる衝動の理由はあった。やらなきゃってところまではあった。でも、自分が、プロジェクトをやる必然性のある人物であるかはやはり怪しいと。
海:やっていくうちに出てくることもあるし、皆、最初は(必然性は)ないと思うよ。
隼:後付けでは理由はあるよ。理論的には。(過去に)日本とアメリカが戦争して、敗れた日本人が、勝った世界一軍事大国のアメリカに「peace」と描くことには意味があると思うよ。
海:それじゃ、動けないでしょ。でも。
隼:だから、それは論理的な理由で、衝動の理由にはなりえない。
M:誤解がないように確認しておきたいんだけど、今指摘した、かつて日本とアメリカが戦争したという点は重要なの?
隼:意味ある。日本人によるアメリカ人へのメッセージは、他の国の人がやるものより強いメッセージ性を帯びると思う。
M:これまた誤解がないように確認するけど、負けた国の人間としてやるのか、ただ単に過去にアメリカと戦争をしたというだけの意味なのか。
隼:もちろん敗戦国というのもあるし、(日本は)原爆を落とされた国だよね。あと憲法第9条かな、やっぱり。
M:アメリカが定めた憲法だって意味? 押しつけられたっていう。
隼:9条? 敗戦したことでアメリカ人にある種押しつけられた憲法を今でも守っている国の、現代を生きる人間として、メッセージがあると思ったかな。弱者の立場からメッセージを発するという認識はある。
M:そういう話は向こうでしたんだよね。
隼:うん。まあ、つたない英語だから議論レベルにはならないよね。走ってすごいよねってぐらいで。「俺はあの原爆を落としたことは正しいと思ってる」なんて話にはならない。
M:反論はなかった? 向こうで。
隼:ない。というか、頑張ってる日本人が頑張って英語で訴えてるなっていうぐらいの、温かい拍手レベルで。
海:はは。それって言語の問題じゃ。むかつかせるまでに至ってない。
隼:やってることは間違ってるけど温かく見守っているみたいな受け取られ方は、大いにありうる。
M:それは、当初の自分のもくろみに対してはどうなの。
隼:フラストレーションがかなりたまって、そういうために来てるんじゃないってすごく思っていて。
M:海里が最初に行った時はもっと反論されてたよね。旅行記を読む限り。
海:ああ、ユダヤ人とかにね。
M:うん。でも、海里はそれでも足りない、もっと色んな人とコミュケーションが必要だって思ってたよね。だから、二度目やる時は、そういったコミュニケーションを充実させたがっていたよね。
海:言語能力の問題もあるけど、確信に迫る度みたいなものだよね。
M:度胸ってこと?
海:度胸もそうだけど、対人間の対峙する力みたいな。あるじゃん。
隼:俺なんか、温かく迎えられたから、それに対して挑発するのは、何か申し訳ないし失礼だなっていう意識はあった。
海:はは。ある。あるよね、確かに。
隼:向こうが「何言ってんだよ」って来たら、もう少し(こちらからも)何か言えたかもしれないけど。温かく迎えられてるのに、俺がそれ以上何を言うんだって。
海:もう「peace」じゃん。「peace」完成してるじゃんって……。はは。そこは面白いところだな。勇んで行ったのに温かく迎えられるという。
M:それに関連すると、俺もユーゴスラビア行った時に思ったけど、誰も個人レベルで戦争していないっていう当たり前の事実があって。
海:いや、その事実は結構当たり前じゃないよ。
M:俺も意外に思ったんだけど、それは現地に行ったらそう思うわけで。紛争の国に行って、誰も個人レベルで戦争をしていなくて、ただ、政府レベルで決定したことにその国民は従わなくてはならないという事情だったと。
海:マスメディアや国家に踊らされた結果としてのアクションだと言えるよね。俺も隼人君も。
隼:全然違ったね。ここまでまったく何も(反発が)ないとは思わなかった。
M:こんな「peace」だと思わなかった? 海里が行った時はイラク戦争は?
海:終わってた。
M:じゃあ、隼人君が行った時は、現地の抵抗勢力を鎮圧するっていう段階だったのかな。まだ治安は悪いという。だから、隼人君はもっと殺伐としたものをイメージして、そういう会話が展開されていると思っていた?
隼:戦時中の国家とは到底思えなかったね。麻痺してるのかな。
M:新聞にだまされたってこと?
海:でも、「stop the war」みたいなのあったじゃん。大学とかでやってた。
隼:ほんと(向こうでは)国会の前で、こう、旗を持ってデモ隊が歩いているみたいな(イメージをしていた)。
海:やってたんじゃない?
M:デモはあったでしょう。
隼:何だろう、9割方は「まあ、もういいじゃない」みたいな感じで。
海:平和だし平穏だし、ノープロブレムって?
隼:そんな目くじら立てて言わなくてもっていう雰囲気の中、一部の人が頑張って訴えてるみたいな……。
M:本で読んだ話だけど、反核とかの平和活動をする外国人が広島に来ると、原爆ドームの前で写真を撮るんだけど、何でここで撮るのかと尋ねると、原爆ドームの前で撮るとメディア戦略としてメッセージが強まると言う。ここが絵になるからだって。何かの媒体で使うんでしょ。逆に、イラクでの暴動を治めなきゃいけないって伝えるための米軍側のメディア戦略もある。メディアを通すと、皆そのための工夫をするから情報が拡張されるんだよね。だから、海里たちの活動をどう伝えようかという時にもメディア戦略が必要で、ある意味、全部一緒なんだよね。大統領選挙もしかりで。
海:うん。
M:これはある美術評論家の話なんだけど、別に美術は関係ないけど、コソボ紛争のどこがそれ以前の戦争と違ったかというと、あの時NATOが介入するんだけど、米軍はイタリアに拠点を置いていて、飛行機でアドリア海を越えて空爆して戻ってくると。そのときの軍人たちの生活というのは、朝何時に出勤して飛行機に乗って自動操縦で目的地に着いたら、爆弾ボタンを押して、自動操縦で何時までに帰ると。イタリアの基地に。昔と違って、コソボの上空何千か何万か知らないけど、高いところを飛んでいて、爆弾を落とす人間は下が見えないわけ。ほとんどゲーム的に自動操縦で現地に行ってボタンを押して帰ってくるという動き方で、下で起きている悲劇を見ていない軍人たちがいると。つまり、実は落とす側と落とされる側の現実が、あまりにも違い過ぎる。イラク戦争ももちろん現地鎮圧のために入ってケガした人も多くいるけれど、イラク側に比べると、あまり現実感がない戦争をしている人もいて。こうした戦争の現代化に加えてメディア戦略があって、戦争があまり悲惨ではなさそうに思える状況が一部に起きていると。なかなか実感として沸きづらいんだよね。
隼:ああ。
M:隼人君は今回アメリカに行って肩すかしにあったと。というのは、俺もそうだけど、隼人君は戦争に行ったことがないし、戦争の悲惨さを感じたこともなくて、アメリカに何があるかも分からずに行っていると。ということは、自分が持っているのはイメージでしかなくて、イメージしかないところに突進していって、イメージと違った、ということなんだよね。そして、実はアメリカ人でも、国に残っている人たちは日本人と同様にイメージしか持っていなくて、イメージとイメージのぶつかり合いでしかないんだよ。戦争での負傷者がいる保養施設なんかに突入していって議論をすれば、面白かったと思うんだけど。
海:そういうのを「peace」のルート上に置きたいなというのはあった。
隼:軍人の家族とかが、もっと普通にいるんだろうなと思ってたんだよね。
M:負傷兵の待遇問題っていうのは、今まさにやってるみたいだから。
海:多分、あの十字架をいっぱい立ててる人たちとかいたじゃん。ああいうところにいけば、わんさかいるよね。
隼:どっかに行けばたくさんいるんだけど、そのパーセンテージが思っていたよりも少なかったと。戦争へのリアリティは日本人とあまり変わらないかもしれないかもね。
海:もしかすると、アメリカ人の方が情報操作されてて、日本人よりも知らないことがいっぱいあるらしいんだわ。あの先っぽからたくさん爆弾出るやつとか……。
M:劣化ウラン弾?
海:劣化ウラン弾だっけ?
M:クラスター?
海:まあ、そういう言葉をアメリカ人は知らないんだって、向こうの日本人に聞いたことがあるよ。
隼:アメリカ人はヒーロー物とかサクセスストーリーが好きだから、それこそストーリー仕立ての情報管理はちゃんとされててさ。
M:そういう意味での先進国だよね。
隼:国民もそういうのが好きなんだと思うよね。

→「peace project」総括<2>

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> 『自分のためであり、他人のためでもありうる何か』(08/06/26)
【カテゴリー:海里との会話】 (2008/06/26) Twitterでつぶやく

080626kairi

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※海里は、自転車にGPSを設置し、そのレーダーの軌跡で大陸に文字を書くプロジェクトを断念。

maki abramovic(以下M):どうしてやめたの。
海里(以下海): 最終的にモチベーションが下がったから。複雑に理由はからまっている。
M:へえ。で、別の人が今やってるんでしょ。いつから?
海:隼人君がやってる。4月19日から。
M:ホームページやってるんでしょ?
海:あるよ。

※手元のパソコンで検索するも、なかなかヒットしない。ようやく発見

M:いつまで?
海:けっこう未定。一文字何日かもそこまで綿密じゃないから、十一月になるか十二月になるか。予定では年内に帰ってくると思う。
M:で、海里は今なにやってるの。
海:四年前の旅行記をまとめなおしている。
M:アクロスアメリカ?
海:そうだね。
M:本にするの?
海:それは、ビジネスになるかどうかによる。
M:どこかに持ちかけるつもりはあるの?
海:今はあまり考えていない。まずは前のサイトを作り直して、そこに載せるつもり。書く作業はまとめ切れていない感があったから、今それをやっている。
M:ほう。
海:隼人君がやっているプロジェクトをやらないで、今書くほうをやっているというのは、前回をまとめないうちに次には行けないだろうというのが頭の中にある。そこがしっかりしておかないと、次に行くときに企画がぶれる。次に何かやるかどうかは別として。直感的に話しているけど。
M:じゃあ、まとめ終わったら何やるかは未定か。
海:そうだね。自転車で何かやらなけえばならないというこだわりはないけど。四年前は「次どこ行くの」ってよく聞かれたけど、今は固執していない。今隼人君がプロジェクトをやっているけど、俺に未練はない。むしろ、隼人君がプロジェクトを通して何を伝えていくかを一緒に考えていくとかするのは、俺自身にとってもすごい意味があることで、準備の手伝いをしたことが、自分にとっては結構意味があった。
M:何の手伝いしたの。
海:具体的には、コンセプトの話と、後は実際に彼がどういう風に走るのか。物理的に走るということの、一緒には行かないけど、何を持っていったらいいかとか、物理的な側面の計画だよね。一日何キロ走ったらいいのかとか。彼、走ったことないからね。日本の中を一緒に走ってみたりとか、一緒にチャリを買いに行って装備はこうした方がいいんじゃないかとか。向こうに行ってどの道を走るべきかとか、ここではポリスに捕まるよ、とか。隼人君が毎日ブログで書いているけど、それはもちろん彼が決めるけど、何を書くか相談にのったり。たまにスカイプで連絡取る。
M:でも、一緒にやってる感はないんでしょ? 手伝いはしたけど。
海:俺の意図はそこには入ってないから。いかにサポートするかというだけで。ただ、サポートしていることが自分にとっては意味がある。刺激のフィードバックになる。
M:じゃあ、とりあえず、四年前の旅行記をまとめると。その次は出来上がってから考えると。
海:そうだね。何もしないかもしれないし。何かしたいとは思うけど。
M:プロジェクト関係なく、どこか移動したいとかないの? 反復横飛び的な。
海:どこか海外に行きたいとかはない。何、反復横とびって。
M:いや、視界を変えてみるって意味で。ばば、ばばってさ。
海:何だよ、それ。
M:旅行記、どれだけかかるの。どれくらいのボリュームになるの。
海:ボリュームは分からない。
M:とりあえず吐き出しきればいいって感じ?
海:そうだね。締め切りは設けてないけど、俺的には即終わらせたいんだけど。現実的に考えると、この夏で終わるかどうか。隼人君が向こうにいる間に終わらせたい。アメリカのプロジェクトをやっている間に、「海里はそれ(旅行記)を終わらせろよ」って話を隼人君とした。
M:もう夏だね、確かに。夏は何かやるの。執筆?
海:毎日、何かしらやる。できない日もあるだろうけど。
M:で、いきなりだけど、今回のテーマは「年齢」なんですけど。今何歳?
海:二十七歳。
M:どう、二十七歳。
海:どうって何。
M:どう、二十七歳。
海:二十六歳と比べて?
M:何でもいいよ。…じゃあ、二十歳と比べて。この七年というスパンと、その手ごたえと。
海:ふらふらしてる。
M:ふらふらしてるはずじゃなかった?
海:ふらふらしてる予感もあったかもしれないけど、よく分からない。
M:そんな先のこと考えてなかった?
海:漠然とは考えていた。
M:それとのギャップはどう?
海:漠然としてたからギャップも何もない。ギャップは何かしらあると思うけど。
M:想定どおりもつまらないもんね。じゃあ、今も、未来はそんなに明確には見てない感じ?
海:明確ではないね。いつも何かとの比較になるけど。
M:どういう意味、比較って。
海:いや、比較じゃないと、言えないんだよね。
M:また次の七年後っていうと、三十四歳か。どう、三十四歳。
海:三十四歳のころには、もっと、こう、自分の定位置みたいなのに付いていたいね。仕事とか、生き方とか、しっかりしたものに。
M:まだ、生き方はしっかりしてない。
海:してないだろうね。
M:生き方って何だろうね。仕事は分かりやすいけど。生き方って割と観念的でしょ?
海:さっきのプロジェクトの話になると、立ち位置みたいな。
M:立ち位置?
海:(例を)一個出すとしたら、PEACEプロジェクトだったら、どういうプロジェクトに持っていくかってことで、ぶれるかぶれないかっていうところで、生き方が定まっているか定まっていないかというのが出てくる。三十四歳までにプロジェクトをやるんだったら、生き方を定めてちゃんとやりたい。プロジェクトに限らず、全部の判断だけど。その判断には、どういう仕事をやるかとかも入ってくるだろうけど。…漠然としたことしか言えないな。
M:漠然とね。
海:最近けっこう考えてるんだけどな。隼人君と言ってるのは、自分のためであり、他人のためでもありうる何かっていうのを、三十四歳までに突き詰めたい。
M:いつのまにか、三十四歳が一つの目標になっちゃったね。
海:それはおまえが(勝手に)定めた区切りだよ。…今はまだ、あわよくば、他人のためでも「ありうる」っていう言い方なんだよ。「ありうる」っていう。「ある」って、かなりの精度で言える自分になりたい。
M:漠然としてない自分になりたいと。
海:なりたいね。
M:なりたいかあ? 答えが決まっちゃうってこと?
海:決まるってことはないけど、精度みたいなのが高い人っているから、そういう人になりたい。

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> 『持ってるカードのなかで、最良の何か』(海里:07/03/25)
【カテゴリー:海里との会話】 (2007/03/26) Twitterでつぶやく

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※海里は、自転車にGPSを設置し、そのレーダーの軌跡で大陸に文字を書くプロジェクトを計画中。

maki abramovic(以下M):近況報告をしてください。
海里(以下海): プロジェクトの近況報告?
M:そう。
海:プロジェクトは、まず、始まらないうちに終わる、と。
M:ボツってこと?
海:問題意識なり何なりは残るよ。ただ、当初言ってたような形と時期にやるってことは、まあ、ない。
M:前は十月に録音したから、遅れてるのは分かってるけど。
海:遅れてるって?
M:当初予定してたのは、去年の八月でしょ? だから、プロジェクトが遅れてるのは、前回の録音で分かってた。
海:ああ。
M:遅れてるんじゃなくて、そもそも、ボツなの。
海:いや、もうその(十月の録音の)時、すでにボツだったよ。
M:ははは。そうなの。
海:そりゃそうだよ。ボツじゃなけりゃ、何かやるさ。でも、こないだ、もう一人の(プロジェクト参加予定の)やつと会って。そいつは「やりたい」みたいなことを言ってる。でも、やりたいって言ったって、無理なんだよね。
M:とりあえず、小規模でやるってのは?
海:小規模、……やるってのがさ、文字を小さくしてって?
M:文字を小さくして、近場で。
海:そうすると、まったく別のものになるよね。でも、その何か、形、フォームみたいなのがボンとあってさ、その意味づけをどうしようかって順番で悩んでたんでさ。そういうのがダメだな、と。
M:何かあって、それをどういう形で伝えるかって形にしたいわけ?
海:それの方が正しいでしょ。人に押し付けるつもりはないけど。ただ、確かに誰かほかの人がやってたら、俺は「おっ」と思うと思う。で、その「おっ」と思うのは何だろうと考えると、分からない。デカイということのダイナミズムか。
M:行動に意味は必要なのかな。例えば旅人がいるじゃん。
海:旅人も、何がしたいのか分からない旅人と、けっこう明確な旅人がいると思うよ。
M:いると思うけど、何がしたいか分からなくって旅している状態は問題なの。
海:俺はけっこう、周りにそういうこと言ってたね。どうせ行くんなら、もやもやしたまま行くなと。何かやりに行けと。ただ行くと金がもったいないだろうって。よく言ってたね。
M:何も持っていないのに、わざわざ作り出すのもね。体内に何も抱くものがないのに、旅するからって明確化しなくったって。
海:いや、だから、もやもやしてて、明確じゃないからないように思えるんだけど、何かしようとしてるってことは、言葉になりうるモチベーションがあるはずなわけ。
M:海里は今回さ、前の「アクロス・アメリカ」のことを、すごい念頭においているわけでしょ。
海:あれのリベンジ的なね。
M:もう少し、ビジョンがくっきり見えた状態でやりたいって意識があるよね。
海:ビジョンっていうのを先鋭化していくと、全然、あの形じゃなくて良いってこと。
M:今回、何するにせよ、行動を起こす前に。
海:俺は綿密に立てないともうダメだろうね、きっとね。
M:じゃあ、そうじゃないから何もやらないってのはどうだろう。時間は経つばかりで。
海:何もやらないってのは、何を指すの。
M:今年、何かやる予定あるの。何もやらずに時が過ぎるとは思わないけど、別の形で何か考えているのか。
海:別の形でっていうことになると、要するに、これからどうやって生きていこうかってレベルにまで(問題は)バックするよね。だって、一年二年かけて何かデカイことをやろうとか、それやめようって話になるとさ、まあ、これからの人生どうやって組み立てていこうかってところにまでならざるをえないぐらいの、その、時間的なものを拘束されるものだからさ。やろうとしていたことがね。それをやらないっていうか、別の形になるって、まあ、けっきょく、そういうレベルに、……まあ、どうだろう、何をしようかって。
M:2007年は何するの。2007年じゃなくても、2007年以降は。
海:自転車で何かっていうのは、もうないだろうね。
M:自転車に固執していて、よくなかった? チャリンコでGPSつけて文字描くと、そういう何らかの意味づけを明確にしたとして、その行為の後は、何を予定していたの?
海:人生設計的なものだよね。
M:平和活動家的な路線でいくつもりだったのか、それとも、やったらケジメつけて就職しようか、とか。
海:問題意識は続いていくだろうけれど、それを外に出す形としては、まあ、規模をデカクしてやるってのはそんなに意味は感じないね。
M:当初、プロジェクトやるつもりだったじゃない。言い始めたのいつだっけ、2005年だっけ。2004年がアクロス・アメリカだっけ。インタビューが始まったのが2005年11月なのよ。それより前から考えていたよね。
海:そうしたら、(2005年の)5月ぐらいかも。二年ぐらいか。
M:その時は、2006年8月ぐらいにプロジェクトが終わってるはずで、今頃は何してるつもりだったの。また別のプロジェクトに繋げるつもりだったか。
海:何のイメージもなかったと思う。次のプロジェクトっていうのはなかったと思う。けっきょく、その、感触を確かめようっていうよりも、やってるモチベーションが胡散臭いわけよ。だから、胡散臭い話したくないんだけど。何が胡散臭いのかというと、前回やり残したことをやりたいっていうのが、もうダメなのよ。そんなんじゃダメ。そういうのを捨て去ってないと、まず、ダメなんだよ。何もできやしねえって。前回、ダメだったから、……前回、ダメだったから。それはね、……前回、ダメだったから、次はダメじゃないものにしようってのは、はっきり言って終わりがないんだよね。終わりがないから、もっと、発想を変えて、終わりがないものにどうやってずっと関わっていく、その、折り合いのつけ方だよね。何か、だから、金と時間かけてさ、何かやって、その不十分感みたいなのが絶対残るわけじゃん。その不十分感が次のプロジェクトに向かうような循環のイメージだと、何もやっていけないよ。自己満足だし、終わりないし、成り立たないでしょ。
M:自己充足感の達成以外に(目的を)置きたいわけ。
海:だから、自己充足できない課題でしょ。課題が課題だけに。
M:課題があいまいだからね。端的に、課題って何なの。戦争をなくそうとか、そういうこと? そもそも、海里は何を目指してるの。
海:そんなのは、ブレるっていうか、変わるよね。
M:アクロス・アメリカは、あれ、イラク戦争反対だっけ。
海:そういった意味合い強いよね。
M:幅広く見れば、戦争をなくそうと。なぜ戦争が起きるのか議論しながら、戦争が起こる理由を考えていきながら前進すると。
海:そうだね。
M:よく考えたら、アクロス・アメリカは面白いよね。本にするんじゃなかったっけ。
海:あれは、時期的に行ったのは面白かったよね。でも、まあ、もうちょっとできたよね。もう少しあそこで、問題意識が、……その、あまりにも人の密度が少なすぎて、だから、自転車でやるっていうのが構造的に欠陥がある。次やろうとしてもね。インタビューを取るってことは、あれは、けっこう、その、好きっていうかね。
M:町ごとの滞在時間を伸ばせば。
海:それじゃあ、進めねえもん。
M:だから、自転車の問題じゃなくて、時間の問題というか。だから、自分に許された時間の問題。
海:二ヶ月っていう。
M:長いけどね、長いけど、二ヶ月は。けっこう、面白かったけどね。あれ、もうちょっと、新聞が取りあげているうちに何か展開できれてば。そこまで初めから頭に入ってればね、うまく行けたような気がするよね。
海:外側からそういう意見があるのはうれしいんだけど、自分がやっていてあまりに「やってる感」がしないわけよ。
M:それは分かる。取材してて思うんだけど、書くとサマになる。それは、自分が納得していないからよく分かる。大した取材はしていなくても。だから、海里がいう満足した人の声っていうのは集まらなかったんだろうと思う。データベースとしては。
海:いや、だから、実際に一日のなかで、活動に携わっている時間があまりに少ないわけ。物理的にそういうことしかできないから。そこに、不満があるのね。
M:今回、テーマを決めて話をしてもらおうと思ってて。自分の「才能」について、どう思うか、と。自分が特殊だとか特別だとか、思いつつ、言う機会がないでしょ。言ったら白けるからね。
海:才能ね。……才能って言葉に対して俺が一番最初に反応するイメージは、何だろうね。
M:才能とね、使命感ってリンクする部分あると思うんだよね。
海:アクロス・アメリカをやってた時は、やっぱり、誰でもできることをやってるわけじゃないって意識はあったよ。だって、走れるやつはいないし。でも、才能っていうより、あの時感じていたのは、自分が持ってるカードのなかで、最良の何かをしようっていうことだったから。だから、才能以前の、今できることで作ったコラージュ、みたいな。さっき言おうとした、才能の第一イメージってのは、努力してカバーしてる人が多いんじゃないかという気がする。だから、才能についてよく不安になる人は、限界まで努力して初めて見えてくるような感じで、言っても仕方がないんじゃないかっていう所はあるよね。
M:アスリートっぽいね、意見が。
海:そうかもしれない。だから、俺は才能って言う時にスポーツ選手をイメージしてるのかもしれないけど。
M:ただ、野球とかだとイチローは打率を残していけばいいでしょ、結果を。でも、海里がやってることは違うでしょ。行為に意味づけがあるわけで、それは抽象的な基準になる。
海:芸術とかの場合だと、それは、使命感みたいなもので。自分がやる必然性みたいなものでしょ? やらないと人生成り立たないっていうかさ。
M:海里含め、今インタビューしてる人たちはさ、いわゆる企業に就職している人たちじゃないわけ。安定職ではない、というか。なぜかというと、皆、本筋にやりたいことがあるからなわけで、仕事に縛られたくない。じゃあ、そういう風に人生の方向性の舵取りを左右させてまで、その活動を行うのかっていうのを聞きたい。
海:無理だなっていうのが、率直な、つまり、消去法。そういう仕事はやっていけないな、っていう。
M:それは(仕事以外の)別のことがやりたくなるからでしょう。
海:それも半分ぐらいあるけど、でも、やっぱり、どうしようもない恐怖感とか嫌悪感とか。……だから、ほかの人が映像やりたいとか音楽やりたいとか、そういう決意でそっちの方向に行ってるほどの、……俺はね、もっと迷ってる前段階だと思う。まだ形になってないし、それが経済的に成り立つっていう形態をしてないし。
M:じゃあ、今後は、今とはまったく関係ない、違った形の生活がありうるってこと?
海:ありうるね。
M:それは、まだ形が見えてない?
海:今の段階では、音楽のエンジニアの勉強とかもしてるけど。
M:じゃあ、これまでやろうとしてきた路線はなくなりそう? 問題意識としては残るだろうけれど、行動としてはなくなりそう?
海:どこからどこまでを行動と呼ぶかだろうね。
M:第三者に影響を与えるって意味で。なるべく広い人に、最多人数に向かって。……やらなさそうになってきた?
海:いや、俺は、これをやるぞって気持ちにならないと何もやらないのよ。やる可能性がゼロっていうことはないけど。これとこれとこれをやって、俺がやって、やる意味がありそうだったら。でも、どういう意味があるかは分からない。
M:そう。
海:前回の活動の後に考えたのはね、自分がどうやって生きていこうかってことだったんだよね。本当にやりたいことをやろうって思うきっかけになったんだよね。無理のない生き方をしようっていう。影響を与える、……最大の数に影響を与えるっていうよりも、何か、確信を持ってないのにやって、それが数多くの人に影響を与えようとしても、それで自分は納得しないって思った。自分が胡散臭いってよく言ってるのは、プロジェクト自体が胡散臭いっていうよりも、自分自身が確信を持ってない部分っていうか、戦争に関しては考えるところもあったけど、あの問題は一般市民が生きているなかで、どれだけ戦争っていう遠い出来事に、非日常的な地球の裏側の出来事にどれだけ関与していけるかっていうさ、現代人が都市生活しているなかで、どれだけコミットしてるかっていうことの比率みたいなものに葛藤があるわけ、ああいう活動って。そこに何か、自分として確固たるイメージを持っていないまま、……人に影響を与えるとかいう、もっと前の段階でしょ。そういうことだろうね。
M:例えば、自分に戦争に対する明確なスタンスがあって、半ばそれを押し付けるような形で活動をして、その自分のスタンスを広げようという、……この場合、活動は目的が明確だけど、それでいいのかと。海里はずいぶん前の録音で、なぜ自分がやるのかって自問があったじゃない。日本にいる人はほとんど、その、一定の世代以下は戦争と関係ない生活を送っているし、今後も送っていくと。けれども、世界状況は複雑につながってるわけで、日本の今のこの生活も日米安保を経由して、世界の多くの戦争と繋がっているわけでしょ。複雑には。それを、曖昧ながらもどうやって伝えるかと。その際、伝える側も悩んでいる方が自然だろうと。変にキリストみたいに伝える側が確信を持ってるのも不自然だし、むしろ、浮いてしまうんじゃないかと思う。だから、確信を持っていないことは俺は気にしない。
海:その確信はどこから来るんだと。
M:俺はアクロス・アメリカを今振り返ってみて良いと思うのは、戦争はダメですよって言って回るんじゃなくて、何故戦争は起きるんだろうっていうのを、アメリカという当事者の国民たちがどう思ってるかを探りながら、緩く(戦争に対する)否定的なスタンスを持ちながらも、探りながら前進していくってのは面白いなって。その方が、本とかになったら、読む側と同じスタンスで問題を掘り下げていくわけでしょ。
海:やり方は意義あると思うけど。押し付けじゃないっていうスタイルは、まあ、普遍的に。……だから、デカイ活動をする意味がないんだよ。意味ないっていうか、まったく無意味じゃないけれど。前回の活動を面白いって言ってくれる人もいたし。でも、対コストとの関係において、非常に非現実的だなという感じはするね。やりに行ったのに、やった感じがしないっていうのはキツイよ。正直、しんどかったね、前回は。
M:GPS(の軌跡)が文字になるかもしれないけど、今回のプロジェクトも走るだけだよね。
海:だから、走るだけっていうのは視野になくて。やっぱり、そういうコミュニケートとか、そこの部分を拡充したいっていう気持ちはある。
M:今年は、プロジェクト抜きで、あらゆる意味で予定立ててないの? 音楽の話でもいいんだけど、何月ごろに何かやりそうっていうのは。
海:今のところ、動きはない。…………いや、もうだから、行き詰ってると言うしかないよ、簡単な言葉で言うとね。
M:……そう。

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> 『今、ちゃんとしよう』(海里:06/10/7)
【カテゴリー:海里との会話】 (2006/10/07) Twitterでつぶやく


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※海里は、自転車にGPSを設置し、そのレーダーの軌跡で大陸に文字を書くプロジェクトを計画中。

maki abramovic(以下M):最近時間がない。日記はちゃんと書いてるけど。
海里(以下海):写真?
M:写真じゃない。「アンディ・ウォーホリック日記」。
海:それ、中身よく読んだことない。
M:去年の十一月からだから、割とちゃんと続いてる。
海:もうすぐ一周年。
M:そう、一周年。
海:死ぬまで続くんだっけ?
M:ウォーホルが死ぬまで。というか、ウォーホル日記が始まってから終わるまで。あと十年。コツコツ続けてる。
海:俺の企画はね、進んでないわ。
M:何、その話は頓挫してないんだ。
海:五人でやるのは無理だね、って話になった。
M:八月にやってるはずだったよね。もう十月だ。
海:そうだね。そろそろ終わってるころだね。
M:ことしに入ってどんな感じだった? なんか頭のなかで葛藤があった? プロジェクトについて、どういう変遷があったのかなと。
海:変遷も何もないよ。変遷があるぐらいなら、まだいいよ。
M:月にいっぺんぐらい話し合ってんの。
海:ならすとそれぐらいかな。
M:五人がダメってどういうこと。一人ならいけるって?
海:一人でやったほうが早いってこと。
M:五人がダメってどういう意味。
海:かみ合わない。
M:同じことをやろうとしてない?
海:かみ合わない。
M:行為としては同じことやろうとしてるんでしょ。チャリンコで走るっていう。そこにもズレがある?
海:五人でやっても、そんなに意味ないんじゃないかなと。
M:海里が思ってる? でも、一人でやるのはどうか、っていうのが前(話したとき)あったでしょ。大勢に参加してもらいたいってさ。
海:いや、どのみちそれは一緒だろ。
M:じゃあ、一人でやればいいじゃんって言われたら?
海:一人でやるんだったら、俺のコンセプトをつけて、文字も筆記体にして、そしたらできると思う。それを俺がやるかってことなんだけど。
M:やらない?
海:……。
M:なぜ、こんなことを思いついたんだろうっていう、熱の冷めた感がある?
海:熱の冷めた感は割と大きいよ。
M:勢い重要だもんね。
海:熱が冷めちゃうと、どうにも動けない。変遷がないって、そういうこと。
M:最近、このプロジェクトについて考えてなかった?
海:自転車でどうこうやるってのは、……何か、アメリカ人が何考えているかはテレビを通して考えるけど、……そういうのは考えてなかった。
M:ニュース見たりして。
海:もう自転車で何ができるかっていう、こっちの形の方は考えてない。ああ、冷めたってのは、自分で計画立ててて、要するに胡散臭く感じるときがあるわけ。それじゃダメだろ、と。
M:じゃあ、他の人がこの企画を実行してるのをテレビで観たらどう思う?
海:まったく同じってことはないでしょう。
M:いや、まったく同じことをやっていたとしたらの話。自転車にGPSつけて「PEACE」って書いてるわけ。で、ネットでリアルタイムで文字がどんどん表示されていって、それをテレビが「こんなことをやってる人がいます」って紹介してたら。
海:それで何、やられた感とか、やっときゃ良かった感とかは、ないと思う。
M:はは、ないんだ。
海:それでどうしようかってこと、だから。注目するのは。「PEACE」って書いて。
M:どうなったんだ、と。
海:なぜ、そいつがそれを考えたんだ、とか。うん、そっちの方が(形より)重要なんだろうな。
M:でも、(行為の)波及効果っていうのは、まず読めないものでしょう。
海:いや、読むっていうのはさ……。
M:数撃ちゃ当たるっていうのは、あるでしょう。例えば、オノ・ヨーコがニューヨークタイムズに一面広告で「IMAGINE」って書いてさ、このヨーコの思惑は何だったんだろうか。結果的にどうなったんだろう、と。
海:ちょっと話変わるだけどさ、「IMAGINE」のコピー持ってるんだけど、岡本太郎の「殺すな」って知ってる?
M:知らない。
海:知らないの? けっこう、太郎ファンじゃなかった?
M:けっこう、太郎ファンだよ。
海:あいつがベトナム戦争に反対して、ワシントン・ポストだったかヘラルド・トリビューンだったかに広告出したわけ。それは、太郎が単体で出したというよりは、ベ平連? 作家とか知識人が集まって、ベトナム戦争反対の企画としてデザインを太郎が代行してやったみたいなんだけど。
M:へえ。
海:奴が書いたのは、毛筆で漢字で「殺すな」って書いたわけ。もちろん、アメリカ人は読めないんだけど、でも、その筆の勢いみたいなのがすごい殺気だってて、それがアメリカ人に伝わったらしいんだよ。で、うわ、何だこれは、みたいになって。隣に「殺すな=DO NOT KILL」みたいなの書いてあって一面広告使って。それがインパクトあったらしくて。
M:俺が聞きたいのは、じゃあ、これは何だ、と思わせるのが成果と呼べるのか。その影響で殺さなくなったことが成果なんじゃないのか、ってことなんだけど。確かに太郎が「殺すな」って書いて「おっ」と思った人がいるかもしれない。でも、米兵に志願しようとしていた人が止めたとか、一部の議員が戦争反対派に回るとか、そういうことが成果なんだろうと。「おっ」と思っても、その後、何も行動に転化しなければ、どうなんだろうと。
海:転化っていうのは測定不可能だと思う。
M:だから、俺が言いたいのは、波及効果っていうのは測定不可能でしょ、と。じゃあ海里はどこまで考えて、結果重視の行動を考えているのかなと思うわけ。
海:測定不可能だからこそ、自分が納得できるかどうか、という尺度しか今度はなくなってくるわけ。
M:ああ。そりゃそうだ。俺はね、岡本太郎ファンだけど、「殺すな」は胡散臭いと思う。日本人には関係ないじゃん。アメリカ人が国内で「殺すな」って言わないと意味ないでしょう。
海:そうかな。
M:日本を含め周辺国が反戦の気運を高めることはいいんだけど、けっきょく第三者だから。オノ・ヨーコはニューヨーカーとしての発言と言えるとしても、岡本太郎はいくら良い作品を新聞に載せてもさ、文脈上、胡散臭いよ。
海:部外者の言い分だってことは言えるよね。
M:戦争っていうのはモラル上やらない方が良いに決まってるわけで、だけど国益上ぶつかり合うからやるわけで、モラルとは別の話なわけ。他人は引っ込んでろ、と。
海:だから、どこまで具体的なことは言えるか、っていう。ちゃんと状況を分かっていて、バックグラウンドを。どれだけ他人事としてその距離感があるか、っていう。
M:だから、(GPSを自転車につけてアメリカ大陸に「PEACE」と書こうとしている)海里もね、岡本太郎だと思うんだよね、多分。
海:ポジション的にね。
M:だから、胡散臭さを払拭するためには、アメリカから離れる必要がある。
海:どういうこと。
M:日本について、まず固めないと。
海:そりゃもちろん、そうなんだけど。分かるんだけど。何だろ。いや、だから、前回アメリカから帰国してきて思ったのは、日本の政治について自分は考えを持つべきだという、そっちの方が、自分は一票持っているんだから、重要なのは分かっている。それを含めて、いろいろ(今回のプロジェクトに)穴はあるわけよ。
M:あな? あら?
海:穴でも粗でも、どっちでもいいけど。
M:清志郎倒れちゃったね。
海:え。
M:知らないの。喉頭がん。
海:もう、歌えないの。
M:分からないけど。……(プロジェクトに)誘おうと思ってたのにね。俺が勝手に言ってただけか。
海:清志郎は、何か考えてるのかな。
M:北朝鮮の歌とかあるよ。
海:何でそんなの歌ってるんだろ。
M:思うところがあるんでしょ。
海:「君が代」とかもカバーしてるよな。あの、セックスピストルズが「ゴッドセイブザクイーン」をカバーして、批判というか賛否両論まきおこして、それを真似したかどうかは知らないけど「君が代」カバーしたら、日本人からはまったく反応がなくて。
M:はは。
海:で、話を戻すとさ。自分の近いところから手を打つというのは、極めてまともな議論だと思う。ただね、それを、日本人だから、必ずしも国家国籍の文脈で考えなくてもいいことがたくさんあると思うわけ。
M:そりゃそうだ。
海:で、そこはもっとうまく言える必要があると思う。少なくとも。皆がアメリカVSイラクっているなかで、変な話、これは人類全員の問題だ、みたいな。頭で思って、それを文字化したところでさ、そんな説得力ないんだよね。パワーに転化できないから。
M: でも、「PEACE」って書くことについてだけど、そもそも戦争は平和の問題じゃないんだよね。向こうが平和をのぞんでないもの。中東側が。平和って言葉に強さはなくてさ、アメリカが黙れば済む問題じゃない。アメリカ側が落ち着けと、ブッシュが降りて、反戦を唱える新大統領の支持率が九十パーセントになったとしてもね、問題は解決しないもの。
海:いや、問題を解決するために、最低でも落ち着け、と。at leastだと思う。分からないけど。
M:何にせよ、アメリカが攻撃しなければ良い問題じゃない。攻撃しないのであれば、ただちに代替策が必要。でも、そこにはさらに複雑な問題があって。すなわち、あそこに世界の燃料が集まっているという現実的な問題もあって。中東を完全に価値観の異なる別世界としてノータッチにしようか、と。そうはいかない。経済的には今後、あそこを無視して暮らすわけにはいかない。
海:よくさ、石油のことが言われているけど、具体的に想像つかないんだけど。戦争でどういう構図でさ、誰がもうかるの。
M:アメリカがもうけたいんだろ。
海:大統領が?
M:大統領じゃないでしょう。
海:でも、大統領の、あの、石油のカーライルグループっていうのが。
M:ああ、マイケル・ムーアは言ってたね。
海:マイケル・ムーア筋によると、だけど。……石油施設を占領しようっていうんじゃないんでしょ。
M:俺もそこのところは大して調べていないからよく分かっていないけど。端的に言うと、ロシアの息のかかっていないパイプラインが欲しいわけでしょう。日本も関わってくる話のはずだけども。
海:石油をめぐる政治戦略っていうのがよく分からないんだよね。
M:調べないとね。いずれにせよ、戦争は関係なく最低言えることは、あの地域、石油を抱えている中東各国との交渉ごとというのは絶対あるわけで、そして向こうが有利な立場にあることも間違いないわけ。仲良くやる必要がある。
海:仲良くやる必要があるのに、なんで戦争が起こるんだ。
M:欧米諸国は仲良く対等にやりたいんだけど、市場原理主義というものがすでに西洋的なわけだから、西洋文化を持ち込むことになる。
海:そりゃそうだ。
M:だから、その時点で、(イスラム)原理主義者たちからの反発が考えられる。
海:そりゃそうだ。
M:WTOにせよ、あらゆる国際的な枠組みすべてが西洋の枠組みだとも考えるわけでしょう。彼らはそういうものとは別に、勝手にやりたいわけでしょう。アッラーの神の下に。そうすると、非合理的なルールのなかで、ああいう変な独裁者なんかが出てきうるわけで。それを取り除こうとして戦争になっちゃったと。その行為を喜ぶ人もいれば、気に入らない原理主義者も多くいる。
海:でもさ。
M:放っておけばいいよね。
海:うん。
M:だけども、放っておくと、フセインじゃなくても、そういう西洋の論理が通じない人物たちと石油の交渉をしなければならない。
海:でも、それで何故戦争が始まるかが分からない。
M:だから、合理的に商売の話をするというのが西欧諸国の論理。向こうは、いろいろな駆け引きを仕掛けてくるでしょう。サウジアラビアみたいにアメリカと仲良くしている国もあるけれども。
海:……。
M:で、地球で生きる上で圧倒的に利権が集まっている土地に、そこに悪そうな奴がいれば、叩くことで大義名分ができて、かつ権利も奪えるという。
海:権利奪えるのかな。
M:占領状態にして、インフラ整備やらやっているうちにチョコチョコ押さえていっちゃえば、気づいたらアメリカの有利な約束事があらゆるところで出来ていると。少なくとも他国にイラクが占領されたら、アメリカの有利な風には絶対に進まないわけで。
海:まあ、ありえるかな。日本の戦後もそんな感じだったもんな。



M:イラク戦争に限らず、結論ありきの捏造とか、そういうことは往々にしてあるんだよね。山口組の組長を捕まえるために、警察がどういうことをするかと言うと、ボディーガードたちをとっ捕まえて銃刀法違反で現行犯逮捕するわけ。で、組長は銃刀法違反に抵触しないよう持っていない。でも、警察はそれを逮捕する。どういう論理かというと、部下に持たせていたという共謀共同正犯というところに持っていくわけ。じゃあ、部下たちに持たせていたとか、持っていることを承知していたことを立証しなければいけないんだけども、立証できるわけがない。
海:ああ。
M:で、どうやるかと言うと、やくざ的な常識を考えれば知っていたに違いない、とするわけ。
海:それで通るんだ。それで通ったら結構ヤバクね?
M:いや、それで通るんだよ。それで逮捕する。イラクも山口組の組長と同じなんだよ。
海:え、何が。
M:厳密に考えたらめちゃくちゃな逮捕でしょ、それで実刑にまでするんだから。めちゃくちゃだけど、でも国民は、山口組の組長が銃刀法違反の共謀共同正犯で捕まったとなれば、よく考えずに「ざまあみろ」と思うじゃん。国民は厳密には考えない。
海:はは。
M:それとイラクも一緒じゃん。何か悪かったんだろうな、とイメージがあるから。そういう風に言ってしまって、けっきょく大量破壊兵器をイラクが持っていなかったことについて、小泉は特に何も弁解しないんだけど、国民はあまり気にしない。一部の知識人しか(小泉を)責め立てない。
海:国がおっぱじめてるんだから、何か(根拠が)あるんだろう、と。
M:国民操作というか、そういう政治的な能力というのは、こういう国民のレベルの低さを承知でやるわけで。
海:そりゃそうだ。小泉はまさにそうだったね。ブッシュもまさにそうだね。
M:全世界的に考えてさ、発展途上国で重要なのは教育だとか言うよね。でも、日本とかアメリカっていうのは、教育水準はこれ以上は飛躍的に伸びない。絶対。山口組の組長逮捕について厳密に考えて「おかしい」と思う国民がほとんどいないというのが、地球人の限界なのかな、と。戦争もそうして起こる。イメージ論だから。
海:はは。日常生活に支障ないし、どうせ、悪い奴だろって。なんか、安保闘争の時代の人たちだったら、違うだろうね。……(日本政府は)アメリカが、向こうが要求したものを満たそう、満たそうっていうのは湾岸戦争もイラク戦争も変わってないわけでしょ。
M:日米間の枠組みが変わってないからね。
海:お金から軍隊に変えたところで、……だから、お金しか出せないジャパンの誇りを持て、と。言って帰って来いと。
M:今の山口組的な話で言うと、自衛隊を派遣してアメリカに対して「俺はやったよ」と、片や、イラクや自国民に向けては「援助活動だよ、攻撃してないよ」とする。それで、死人を出さずに引き上げてきた。これは、低レベルな国民を操る国家首脳としては、成功したと思う。
海:結果オーライ。何の問題も起きなかったものね。
M:地球人の限界、つまり、例えば五千万以上の国民を抱える主権国家をコントロールする限界としてはこの程度なんだから、国際政治や政治を厳密に合理的に研究するのは、ちょっと……。
海:ナンセンスだよな。
M:ナンセンスなんだよ。
海:だから、今回はノープロブレムで終わったけど、こういうことを繰りかえすといつか地雷を踏む、ということだと思う。だから、今、ちゃんとしよう、ってなってるんだと思う。
M:(プロジェクトは)年内に何か目標あるの。何かするの。
海:さあ。何もないよ。

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> 『行きづまってる』(海里:06/01/29)
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※海里は、自転車にGPSを設置し、そのレーダーの軌跡で大陸に文字を書くプロジェクトを計画中。

海里(以下海):多分、行きづまってる。向き合ってなかった、この一ヶ月。
maki abramovic(以下M):年末年始はどうったの。活動してなかった?
海:引きこもってた。今週からだよ、人に会い始めたの。
M:一ヶ月は何、アクションだけじゃなく、アイデアもフリーズしてた?
海:すべてから逃げたかったね。十二月がひどかった。他人が接触してくると、自分を客観的に見ざるをえないから。
M:最近、そういや、俺はそういう孤独になってないな。で、今週よみがった?
海:先週くらいから友達と会えるようになって。
M:プロジェクト自体は? 前回話したアイデア以降は。
海:今日の午前中思ったのはさ、何やるにしても不完全な自分っていうのがつきまとっているわけじゃない。その不完全な自分を救済するためにやるっていうのが、少なからずあるわけ。
M:何かを達成することによって、弱い自分が鎧をまとう?
海:前回のプロジェクトが焦点が合わなかったのもさ、戦争をテーマにしていたにもかかわらず、裏テーマとして自分の不完全さみたいなのがあった。
M:それは無視できないの?
海:無視できずにやってしまった。だから、自分が走って、自分が何かしてって方向に行きがちだった。
M:で、自分の濃度を薄めようと。
海:そう、いろんな人に参加してもらって、GPSをリレーしてもらう。それを(自分が)撮る。影に回る。
M:俺も、それは悪くないと思うよ。誰もが何をやるにしても裏テーマを持つんだけど、あからさまにはしない。別に自転車こいでもいいんだけど、プロジェクトを成立させることを最優先にしないと。プロジェクトが一般性を持つことが重要。複数人にとって良いものであるべき。
海:複数人にとって良いことをやりたいっていう自分もある。自己満じゃなくてさ。
M:と、言いたいの?
海:いやいや、自己満じゃなくて良いことをやりたい。
M:自己犠牲をすることはしない?
海:自己犠牲なんて、誰もできないでしょ。そんなの、誰も共感しない。
M:そんなとこは別にいいんだけど、とにかく、これまで進めてきたプロジェクトとさ、今の話は何に関係するの?
海:だから、自分が何かしなきゃ、とか、自分が真ん中にいたい、とか、そういう気持ちがあったんだよ。
M:あったの?
海:前回はそういうのをなくしたつもりだったけど、あったんだよ。こびりついたものがさ。期限的にはさ、そんな焦ってやりたくない。
M:今年の夏とか?
海:そんな期限を決めてボンってやるほど、単純なものじゃないと思う。下方修正を余儀なくされている。
M:はは。それより、やること自体を決めないと。こないだは企画自体の説得力の話をしたわけじゃない。海里が、日本人がやることの意味。たとえば「peace」を描くとしたらさ、海里はプロデューサーに徹してさ、戦争地域の子どもたちを呼んできて走らせた方が説得力があるわけじゃない。だから、海里が走ることと、文字を描くこととが合わさった状態で、どれだけ説得力を持ちうるか。
海:俺が真ん中からどけば説得力が増すんだよ。
M:でも、こないだは日本人がチャリンコで走る、GPSで文字を描く、っていうのを前提に話をしていて、じゃあ、他人のコンセプトに乗っかればいいんじゃないか、って話をしたんだよ。で、その後はどうなの? 海里は自分が引くって言ってもさ、けっきょく、日本人に走らせるつもりなんでしょ?
海:いや、走らせない、自転車なんか使わないでGPSをリレーさせる。文字通りにリレーしてもらう。
M:うん、それは置いておこう。それ、ダサイじゃん、自転車で駆け抜けた方がいいじゃん。そうじゃなくて、スタッフとかとはどう話し合いが進んでいるのかなって。
海:全然進んでない。
M:どう言ってるの、会話としては。乗っかるというアイデアに対して、どういう意見が出てるの。賛否両論あると思うけど。
海:話してない。
M:議論し合ってないのか。乗っかるってアイデアは誰にも話さなかった?
海:してない。
M:じゃあ、年末年始はこもってたんだ。こないだの話の直後にもう動き出してたと思ってたから。
海:そういうテンションだったよな。
M:そうそう。
海:やっぱ、自転車で走ること自体、どうなのかなって。
M:カッコいいじゃん、映像的には面白そう。こうやってGPSを手渡しでリレーして回るよりは。人数に意味があるってこと?
海:人数っていうか、参加するってことだよ。
M:多くの人が参加するってことでしょ? 歩いて渡していくの? どうやってリレーしていくのを想定してるの。数キロ歩いてハイって渡すだけのために、往復の旅費まで出して来る人いる?
海:探すんだよ。
M:いや、やりがいがないと人が集まらないでしょ。やりがいがあって、かつ結果として出来上がったものがメッセージになっているところ、この企画の面白いところなわけじゃん。俺はこないだの話で、もうプロジェクトは完成したと思ったけどな。
海:俺もあの時はそういう感じだった。
M:だから、今ごろは一つか二つ団体に話を持ちかけてね、企画立案は収束に向かい始めている頃合かな、って思ったわけだよ。
海:けっこう、難航するわ。
M:いや、難航もクソもさ、他の人に話してないなんて問題外でしょ。
海:自分の中で受け入れられない。
M:どの点が?
海:その……。自分がやるってことの広がりのなさ。
M:他人にやらせればいいじゃん、プロジェクトは同じでしょ。
海:プロジェクトがいかに人を巻き込むか、という。
M:人数が必要だなって思い始めたってことだ、やっぱり。
海:人数っていうか、一般の人が……。
M:最初はホームページを作って、視聴者という形で巻き込むつもりだった。
海:それじゃ、弱いのかな、と今は思って。
M:二通りやったら? 一人の人が世界一周して、説得力があるときはあるし、無いときはない。石川直樹(*1)みたいに単独行動を続けてもさ、読者がいて感化されるわけで。
海:それは、彼がすごいからでしょ。
M:だから、すごい時はすごいってこと。プロジェクト自体がどうかって問題であって、人数の問題じゃないって言いたい。今回の企画は五人ぐらいでも十分面白いと俺は思うし、ライダーにキャラクターがあればなお良いねって。で、日本人のライダーにどう説得力を持たせるかって話を前回した。しかし、海里はまだ引っかかりがある。なので、しばらくフリーズしていた。
海:そりゃ、フリーズするって。
M:俺は面白いと思うけどな。
海:直感的にはね。
M:いや、ずいぶん形も見えてきたって思ったけどな。でも瓦解してるよね、一ヶ月以上経った今。最初から企画練り直し、みたいな雰囲気になってる。
海:俺のなかで、ピュアじゃないところがあるんだよ。納得いかない部分がある。それを捨てないといけない。
M:自分の人生における満足感みたいなのを、プロジェクトに重ね合わせるのがよくないってこと?
海:そうじゃなくて。
M:ピュアじゃないってどういう意味で言ってるの?
海:自分の濃度が高いんじゃないっていう。
M:いや、だから前に話した時にさ、「他人のコンセプトに乗っかれば、自分の濃度がさがる、それいいな」って言ってたじゃん。
海:それは濃度が減ることは減るんだけど。
M:けっこう、グデングデンになってるな。
海:その違和感をつめてやらないと、後でほころびが出るから。これホントに。
M:たぶん、海里はムーブメントを起こしたいっていう気になってきたわけだ。活動を見てもらいたいっていう程度じゃなくて、社会全体に波動を与えたがっている。そういう気がし始めているんじゃないの。
海:ああ。
M:ようするに、最初に想定していたのは、まず自分の行為がインパクトになって波動を与えるという形態だよね。作品を見せて、波動を与えるという。だけど、今はやりたいことがシフトし始めていて、波動自体を作品としたがっている。大衆を巻き込んで参加してもらいたい。
海:それは大それたことであって……、無理じゃん、それは。
M:じゃあ、元に戻って、現実的に何ができるかを考えないと。ほころびが出るとか分かるけど、やっぱりプロジェクトを前進させないと。
海:でも、自分の濃度を下げると、制約がなくなるわけ。
M:何の制約?
海:どういうものにするか、何をするかっていう制約。自分との関わりとか、自分がやりたいことをやらなくていい。制約がなくなる。何でもできる。
M:自分の濃度を考えると、自分に何ができるかを考えながらやらないといけないって? そんなの馬鹿げてるでしょ。海里の濃度がゼロだなんて、馬鹿げてる。大衆に見える次元でゼロにするのはいいけど、何をやるか決定する次元でゼロだなんて。
海:俺の濃度が百じゃないといけない気がしてきた。
M:え? ああ、それはプロジェクトを考える次元でってことでしょ? 大衆に見せるメッセージの担い手としても百じゃないといけないってこと? 全部一人でやるってこと? プロジェクトを考える次元でってことでしょ。
海:そりゃ、当たり前で。
M:いや、ここを二つを分けて考えることは重要なんだよ。混乱するだけだから。どこのレベルでの濃度の話をしているのかを。

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(*1)石川直樹:冒険家。http://www.straightree.com/






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海里(以下海):ライバル商品の分析ができてない。ホワイトバンドとか、そういうの思い浮かべちゃう。だから(ホワイトバンドのCMに出演するのが)タモリだったらダメだけど、坂本龍一とかだったらオッケーっていうところに、うまくいく仕組みというか理由が一つある。
maki abramovic(以下M):タモリはだめだけど、北野武ならいいとかね。
海:そういうの(イメージ的優位性)が俺にはないわけだから、違うものとして考えないといけない。だから、ホワイトバンドとかの規模を縮小したものとして考えたりしないわけ。向こうにあってこっちに無い要素がすでにあるんだから、だから例えば集まる資金とかお金とか、全部縮小して考えればいいってもんじゃなくて、圧倒的に俺にはオフで向こうにはオンなものがあるんだから、違うものとして考えないといけない。募金の量とかもさ、名前とか信用とかにかかわってくるところもあるわけじゃん。
M:まあ。
海:で、前回の場合(*1)だったら「努力」とかで(募金する人は評価して)はらってるわけじゃん。だから、すでに構造が違うわけよ。
M:(海里がノートに、アフリカ大陸の図を書き、続けて「save」の文字を加えるのを見て)かっこいいじゃん、これ。ロゴになりそう。
海:ああ、企画書持ってくればよかったな。アメリカのさ(今度はアメリカ大陸の図を書き「peace」の文字を加える)こういうの作ってさ、書いてさ、企画書を配布したんだけど、これもロゴになる。
M:(このプロジェクトの話を聞いて)面白そうだな、って言ってた奴いたよ。確かに、すげー面白そうなんだよな。大陸に自転車で文字描くってのは。この面白さを殺さないようにして欲しいけど。
海:そうそう、殺さないようにしたい。そこだよ、基本的に死守しないといけないのは、面白さを殺さない。
M:募金以外に集まった金の使い道ってないんかな。
海:だから、俺、それすごい考えるわけ。募金ってすごいアリガチっていうかさ、なんかこう、募金以外にできることないのって考えてるわけ。金以外でできることないのって。ある種の無力感が発生してさ。で、NGOに行った時にその疑問を素直にぶつけたら、NGOとしてはお金が一番いいですって言われた。
M:まあ、NGOは継続的に活動しなければいけないからね。……何かできないんかな。
海:おまえら(このプロジェクト)面白いって言ってくれてるわけじゃん。でも、赤の他人が見たら、そう思ってくれない可能性を憂慮しているわけ。そのギャップはどこからくるんだろ。
M:知り合いかどうかは関係ないでしょ。
海:そうかな。まあ、確かに先輩とか皆食いついてくるな。
M:ただ、海里はいいんだけど、ただの人がね、つまり(プロジェクトに参加して)やる理由がまったく見受けられない人が走るんだとしたら、まったく興味ないかな。なんとも思わない。チャリンコってものに熱い思いがあるからさ、行為自体にも魅力が備わるっていうかさ。例えば、参加するっていう居酒屋の店長とかがさ……。
海:いや、その人は俺より(自転車で)走ってるよ。
M:そうなの? んじゃ、話の流れでそのままいくと、その人とは別で、本気でただの居酒屋の店長がね、もしくは俺とかが(ライダー)やったりね、そういうのは興味惹かないと思う。
海:ま、ブランド的なものでね。
M:体力ないのによく頑張った、で終わっちゃう。その行為をやるのに相応しいような気がする人がやる、っていうのは重要だと思うから。
海:感覚的に重要だな。
M:だって百文字書くっていうんだったらいいんだけど、四文字だとか五文字だと、(ライダー)やる人自体も問われると思う。キャラクターとか必要でしょ。無視できないでしょ、プロジェクト気にしてくれる人は、(どういう人が自転車に乗るのかも)気になるよね。
海:……ああ、何で、何が分からないのかが分からないわ。
M:全部滞ってる。
海:はは。
M:ただ、文字を描くことだけは決まってる。
海:逆にそれしか決まってないから……。グラスルーツでやってるので、「ピース・ナウ・コリア・ジャパン」ってのがあるんだよ。
M:へえ。
海:そういう、赤の他人がやってるグラスルーツの活動を聞いた時に、まず何を知りたいかな。
M:何やってんの、ってことでしょ。何を目的としてるか、ってことか。
海:韓国人と日本人が交流しましょう、って感じなんだけど。東京で、千人でロウソク持って「peace」っていう人文字を描いたり。
M:そういう活動があるわけ? 交流サークルか。
海:スタディ・ツアーやったり。
M:ああ、そういうのがメインで活動してるならいいかもね。でも、確かに「こういうプロジェクトがあるんだけど」って言われたときに、まず気になるのは「どういう目的でやってるんだ」ってことだよね。「何をする団体なの」と。で、「ピース・ナウ・コリア・ジャパン」の場合はそれが明確、……つまり日韓の交流、文化的・歴史的交流っていう。
海:でも、その(「ピース・ナウ・コリア・ジャパン」の)プロジェクトは誰がやってるの、とか、(参加している人たちの)キャラクターはまったく出てこない。で、坂本龍一の地雷とかは、キャラクター出てる。顔が見えてる。その顔が見えてるっていうのが、俺たちの濃度っていうか。で、さっき言ったように、「ピース・ナウ・コリア・ジャパン」って聞いて、すぐに「何してる団体なの」って話になったけど……。
M:でも、海里たちの場合は問題意識ありきっていうより、これ面白いって言って話が膨らんだって感じなんでしょ? それは熱いなあ、っていう。
海:でも、ホワイトバンドだって、最初は「これ面白い」って感じで始まったけど、ばあって広がって。だから、うまくやれば、(問題意識が)後づけでも人は納得する。
M:タイミングもあるよなあ。今年なら戦後六十年だから、原爆とか。
海:原爆を中心とした問題意識を持ってこないといけない。
M:持ってこれるわけ? 持ってくるきっかけが無いわけじゃない。
海:いや、持ってこれるけど「何でおまえが原爆なの」ってリアクションが出てくる。四人とかだと、さっき話に出てみたいに、チャリンコこぐ奴の顔が見えちゃうわけでしょ。濃度が濃くならざるをえない。前回は俺一人っていう究極に顔が見えるやり方だったんだけど、反論されるのが怖くて主張を薄めるっていう操作をしたわけよ。だから、顔が出てると、どうしてこの人がこれやるのっていう話が出てくる。俺って言う叩き台があるから、俺っていう強烈な主張があって初めて(プロジェクトを見た人が)それについて考えるわけで、俺自身の考えっていうのはすごいアバウト。
M:顔が出ないようにすると、(GPSの軌跡でパソコンの)画面に文字が出るだけでしょ。つまらない。
海:「私の濃度」って、使えるフレーズだな。
M:和志(*2)。
海:濃度を出さないといけない気がしてきた。
M:出さないとだめでしょ。だけど、そのライダーの中心人物が自分であることを言う必要はない。それぞれが、そこそこキャラクターがあればいい。
海:それはそうなんだけど、ウェブサイト上に表れる俺はそれでいいんだけど、ただ実際はプロジェクトをまとめる中心的な役割があるわけで。だから、その五人いたら五人が緩やかにつながっていればいいって話は分かるんだけど、緩やかにつながってるその軸は何か、っていうのを俺が決めないといけないことは間違いない。
M:軸。……何かな。でも、そこを詰めることが重要なのかどうかが分からなくなってきた。もう、コンセプトよりインパクトだよ。
海:コンセプトよりインパクトか。語呂いいな。
M:走ってるんだからさ。チャリンコでGPSで文字描くんだからさ。立ってるだけじゃないんだから。同じ「peace」って文字描くにしても、向こうは立ってるだけなんだから。走るのと立つだけなのは、全然違うよ。
海:皆が面白いって言うのも、コンセプトよりインパクトのせいかもね。
M:やっぱね、アメリカに「peace」より、アフリカに「save」だよ。「セイブ・ザ・なんとか」って団体あるんでしょ、それの公式イベントとかにしたら?
海:「セイブ・ザ・チルドレン」。
M:僕ら走りますから、ってさ。宣伝で。コンセプトは「セイブ・ザ・チルドレン」に乗っかればいい。
海:……分かりやすい。それ、すげー分かりやすい。
M:で、アフリカとかの情報ももらえばいい。「セイブ・ザ・チルドレン」のイベントの一つとして、っていうか特別イベントみたいな。
海:何で今の、すごい分かりやすかったんだろ。誰かの活動を代弁してます、ってだけだからか。
M:そう。
海:それしかやってません、って言えば、俺が何でやるのかって言うのを、……問題意識があるんだけど、個人的には(問題意識を植え付けられるような直接的経験は)なくて、でも何かしたいっていうもどかしさはある、って言う俺が悩んでいることを全部説明してくれるわけか。それ熱いな。何でこいつがやってんだ、とかさ、そういうこと言われたときにさ、そういう説明責任を「セイブ・ザ・チルドレン」にすり替えられる。
M:主体が「セイブ・ザ・チルドレン」になるからね。で、多少、ライダーにキャラクターがあれば面白いっていう。
海:あ、「セイブ・ザ・チルドレン」で「save」(の文字を描くの)は熱い。乗っかる、は熱い。
M:悪い意味じゃなくてね。自分たちの行動がより有効だろう、と。メディア対策もやり易いしね。
海:乗っかるか、……きた! ……いや、ちょっと待って、俺、今まで何回か「きた!」って思ってんだけど。……「セイブ・ザ・チルドレン」じゃなくてもいいんだよね、どこかのNGO、NGOの代弁者として。
M:そうそう。ただ、乗っかるならデカい所の方がやりやすいよ。あるいは、ホワイトバンドのクライマックス・イベントとして、とか。
海:ちょっと待ってよ。……「save」がいいかどうかは、まだ。でも「no war」っていう否定じゃなくて、救おうっていう積極的なものだから。……ただ、乗っかるってのはいいね。……俺の濃度が下がるっていうのがいいね。
M:スタッフと相談してみなよ。よかったじゃない、とりあえず話が落ち着いて。もう午前三時半だし。
海:でも、まだ(アイデアを)冷まさないとね。冷まさないと。

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(*1)前回:2004年に行ったチャリティラン「ACROSS-AMERICA」プロジェクトのこと。http://acrossamerica.jp/
(*2)和志:小説家の保坂和志。小説論『小説の自由』(新潮社)のなかで、「私の濃度」について語られている。






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海里(以下海):募金集めてさ、その金がどこかに渡るわけじゃん。その(募金が)渡る先と、俺がプロジェクトとして掲げていることが、一つのラインとして串刺しになってないといけないわけ。
maki abramovic(以下M):じゃあ、もう、串刺しにするためにさ、NGO紹介をプロジェクトのメインにするか。
海:そうすると、何がしたいんだってことになる。もちろん、そこまでは考えたんだよ。
M:描くのが「peace」である必要はないってこと?
海:いや、問題意識を特化したいわけ。坂本龍一の地雷廃絶とかはさ、超特化してるわけじゃん。特化しないとNGOの活動が成り立ち得ないって部分もあるけど、それより、特化しないと伝わらないじゃん。(募金する方も)何にお金払ってんのってことになる。
M:じゃあ、アメリカでやることについてをあらためて考えてみて、……(「peace」の文字を描くための)カンバスとして最適だからアメリカでやるのか、それともアメリカでやることに意味があるからやるのか。で、アメリカでやることに意味があるからだとしたら、アメリカ本土で戦争はやってないわけだから、9・11になる……。
海:……。
M:……アフリカでやれば? アフリカなら貧困救済でいけるわけじゃん。もしくはエイズとか。「peace」にこだわる必要ないでしょ?
海:でも、文字数変わると(自転車で描く)人数が変わったりするから。……一回具体化しようと考えたのは、地雷の問題ってすごいさ……。
M:地雷は薄いよ。だって地雷って見たこともないでしょ。それこそ、何で地雷なのかって言われちゃうでしょ。特化するってだけになっちゃう、逆に。形式だけに。
海:しょうがないって言うか、死にそうになった人だけが頑張ればいいってもんじゃないし。
M:やっぱさ、先進国がやるってことは、金があるからやるってことだよね。
海:ストーリーが要るんだよ。特化しないと、伝わんない。
M:アフリカで貧困救済だよ。U2のボノ(*1)みたいにやればいいんだよ、第三世界救済、ってさ。あれこそ金持ってっからでしょ。自分たちが金持ちなのはおかしいって考え方でしょ。
海:そういう意味で当事者だってことか。
M:要するに、何の経験もないっていうのは、金持ちだからってことだよ。金持ちだから、地雷見たことないし、飢餓も紛争も知らない。金持ちだから、問題意識として貧困救済。……でも、アフリカでやるのは大変か。砂漠とかあるし。
海:いや、それは。横断した女子高生いるし。
M:そうか、話聞けるな。どういうルートが適してるかとか。その子には、もうオファーしたの?
海:まだ。
M:アフリカでやれよ。日本人ができることをやりなよ。経済大国の日本人がやること。で、何描くかだよね。「peace」ってわけにはいかなくなる。……「save」とかは?
海:文字の内容は、すごい勉強しないといけない。世界に向けて、責任の取れる言葉じゃないと、本当にできないから。……すごい勉強しないといけない。
M:「peace」は無難?
海:まあ、そうとも言える。「反戦」とかは言いづらい。本当に勉強しないといけない。テレビで流れても大丈夫ってくらい考え抜いてやんないと、……できない。お金が発生したからオッケーっていうのじゃなくて。
M:そりゃ慎重になるべきだし、意味のある言葉じゃないといけないけど……。描いてる方もやる気になる言葉で、かつ、メッセージを受け取る側も意味があるような……。積極的な意味で真面目に考えるっていうのはいいけど、変に批判を最初から気にしたような姿勢よりも、自信持ってやれるような姿勢でやった方がいいと思うけど。
海:いや、世界にフィードバックしたいって考えると、やっぱ論理武装してかないといけないんだよ。
M:論理武装するのはいいんだけど……。
海:ひたすら文字を描いて終わりっていうんだったら、金さえあればできるよ。どういう効果があるかを予測してプロジェクトをやっていくわけだから、世界に、すごい引きずられる。
M:引きずられるってどういうこと?
海:お金を集めて、どこかに送るってのはさ、(募金を受け入れる)窓口が何個かしかないわけじゃん。自分の窓を作るっていう行為は視野に入れてないしさ。
M:どういうこと?
海:金を集めてさ、募金の窓口、NGOっていう窓口が、……現実的な制約が出てくる。
M:「言葉が気に入らない」って言われることを気にしてるってこと?
海:例えばNGOにお金を送ると、そのNGOの使い方でしかそのお金って使えないわけじゃん。そうすると、プロジェクト自体は、俺が「peace」って描きたいっていう方向で建設されてきたのに、(現実には)お金の送り先(の方針)から逆算して考えないといけないっていう制約が出てくる。
M:でも、ネット投票使って、NGOを一つに選んでもらうんじゃなかったっけ?
海:(募金の)分配の割合を決める。集まったお金を、皆で使い方を決めましょうってこと。
M:ああ、いいんじゃない。この募金はNGOに行くんだなっていうのを知らしめるためにもやった方がいいね。「このお金はNGOに寄付します」って断りを入れるだけよりは、投票させた方が。
海:で、投票するために、募金の送り先としてNGOをいくつかノミネートするわけじゃん。例えば五つのNGOだったら、ノミネートしてきた五つのNGOの共通点が、……その五つを抽象化したものが、個人とフィードバックしなきゃいけないわけじゃん。
M:理想はね。
海:かつ、このNGOたちが言いたいことを俺たちが描かないといけない。この三つが……。
M:「save」でいいじゃん。皆、「save」のためにやってるじゃん。
海:自立を促すのは?
M:「save」だよ。自立のサイクルができるまで助けないといけない、手を差し伸べるって意味で「save」でしょ。
海:……ただ、俺たちはリッチだっていう当事者意識、これは結構、……だって俺も当事者になるし。地雷は俺は当事者じゃないもんな。
M:「なぜ、おまえがやるんだ」って言われたときに、俺は金持ってるんだよって言える。でも「money」って描くわけにはいかないけど。
海:なんかバラバラ、収拾がつかなくなってきた。
M:形にしてくれ。でも、アフリカに変更すると費用も跳ね上がるか。
海:いや、社会的に意義があるプロジェクトなら、(スポンサーつけて)金出してもらえる自信がある。ただ「no war」とか言うと、全然金でないんだよ。政治的すぎて。どこの企業も「no war」って言葉に責任取れないから。CSR(*2)って言うさ、企業の社会的責任っていう概念があるんだけどさ、「no war」ってここから外れるんだよ。
M:美術振興とかね。
海:あと貧困救済とか、あきらかに人権を侵害しているっていうか、まあ「war」もそうだけど、ただ「war」をやってる側の反論が必ずあるわけじゃん。
M:まあ、一応イラク戦争も、イラク市民の権利を守るためだからね。民主化を実現させる、という。
海:じゃあ、何で「war」だけがCSRから外れるのか。俺は、そこでイェスかノーが言える必要があると思う。デリケートなだけに、すごい問われるところなわけ。
M:ただ、俺はユーゴに行った時にも思ったし、このイラク戦争のきっかけを見てもそうだけど、いくら大衆が考えても、結局、トップの鶴の一声で戦争始まるんだよね。
海:地雷は本当にやりたんだよね。
M:今回は地雷やんない方がいいよ。
海:いや、だってさ、これってあきらかに無くていいものじゃない? たとえば、三百兆円っていう数字(*3)。地球上から地雷を全部なくすのに必要な金とか、そういうのもっと言っていった方がいいし。
M:だからさ、当事者じゃないわけじゃん。それに地雷だとチャリンコで走るっていう行為とつながらないでしょ。何かふり出しに戻った気がするな。

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(*1)ボノ:ロックバンド「U2」のヴォーカル。第三世界の負債を取り除こうとする活動をしている。
(*2)CSR:corporate social responsibility。企業の社会的責任。経済的・法的責任に加えて、企業に対して利害関係のあるステークホルダーにまで広げた考え方。
(*3)三百兆円:桁マチガイか。一般的には、地雷は地球上に一億一千万個埋まっており、一年間に二万個を取り除くのが限界、と言われている。一つ撤去するのに十万円費用がかかり、その計算だとすべてを撤去するのに十兆円かかる。計四兆円だという計算もある。






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※海里は、自転車にGPSを設置し、そのレーダーの軌跡で大陸に文字を書くプロジェクトを計画中。

海里(以下海):(テーブルの上の文庫本を指さして)何それ。
maki abramovic(以下M):イサムノグチ(*1)。
海:あれ、この人、慶応だっけ。
M:いや、親父が慶応。慶応の教授。
海:デザイナーでしょ。
M:彫刻家ね。庭とか椅子とかも作ってるけど。
海:小泉体育奨励賞(*2)とかいうやつもらったときに、メダルが「イサムノグチ・デザイン」ってなってた。
M:そうなの? 「イサムノグチ・ルーム」ってのも慶応にあるんだよ。潰れる前は万来舎の中にあって。
海:何、バンライシャって。日吉?
M:三田。で、その建物が取り壊されるからって、イサムノグチ・ルームは確か大学院棟の上の方に移築したんだよ。……それよりさ、何かメールに「書いたやつ見て欲しい」ってあったけど。
海:ああ、あれ今日持ってきてない……。
M:ずいぶん書き進んでんの?(*3)
海:四分の三くらい。
M:いい感じにつながってきてるの。
海:いや、流れは、……ぶつ切りだよ。普通に俺が砂漠で死にそうになって、とか。
M:アドベンチャー系になりつつある?
海:っていうのもあるし、その、アメリカの政治的な、……報告も、……半々くらい。
M:もう出版は決まってるんだっけ?
海:○△社はもう良い返事もらってんだけど。四分の三くらい出来たところで一回送ったんだよ。
M:で、悪からずな感触?
海:商業出版と企画出版って分かる?
M:いや。
海:自費出版ってあるじゃん。で、企画出版ってのは、村上春樹とかみたいに、原稿書いたらあとはやってくれるみたいな。その企画出版と自費出版との間に、原稿持って行って審査通ると、出版費用は(本人)出してもらうけど広告の費用とか全国流通はやります、ってのがあって。
M:それは、何て呼ぶの。
海:商業出版とか、共同出版とか。
M:共同出版ね……。で、それは順調に進みそうなの。
海:いや、だから、金かかるんだよ。
M:共同出版になりそうってこと? いくらくらいかかるの。
海:べらぼうにかかるよ。回収はまずできない。三万部出ないと。三万部っていったらベストセラーでしょ?
M:ジャンルによっちゃ、ベストセラーか。やるの?
海:……他の出版社にもあたってみたりするけど。
M:そう。
海:あのさ、……考えたんだけどさ、アメリカにデカい「peace」の文字を描くっていうアイデアは、俺を惹きつけてるから何ヶ月もコミットしてるわけなんだけど。……何がいいんだろ?
M:大きさじゃないの。
海:もう一人、その(プロジェクトを)やる奴とさ、俺らが持ってるスペシャリティについて考えたわけ。
M:スペシャリティがどうした。
海:例えばさ、俺ら問題意識が高いわけじゃないし、問題にコミットした経験があるわけでもないし。
M:平和に対する飢えみたいなのね。日本人は基本的にない。
海:だから、巨大なものを描くっていう行為でしかないんだよ。
M:そうだね。ただ、やるということ自体がね、他の人がやらないって意味で、……いいじゃん、行為に純化してて。それぐらいの規模の行動するんだったら、迷ってもしょうがない、くらいが調度いいんじゃないの。
海:でも、俺ん中で、世界をどう動かすか、みたいな所まで考えてるわけ。で、俺らのスペシャリティって、描くってことだけじゃん。それって、別に、まったく社会動かすこととかでも何でもないわけじゃん。
M:何、それで悩んでんの。
海:(「peace」の文字を描くことは)俺の持ってる個人的な問題意識を解決する手段でしかないわけじゃない。募金送ったりとか、署名集めたりとか、地道だけど力のあるグラスルーツの、効力のある活動の仕方があるわけじゃん。
M:そういう社会的な意味合いが脱落してるっていうこと? でも、NGOの紹介を含めたりさ、結果的に募金集めてさ、前みたいに送るわけでしょ。……企画書はどうなったの。こないだNGOに持って行ったんでしょ。どういう内容? 大雑把に説明しただけ、くらいの?
海:A4、七枚くらい。……伝わらないって、問題意識が伝わらないって。
M:っていう風に言われたの? 俺が(プロジェクト内容を聞いて)最初に感じたのはさ、平和活動ってのは、日本ではNGOとかが昔に比べれば増えたとは言え、まだまだやってる人は少ないんだよ。アメリカとかと比べると。だから、若者たちがそういう意識を持つためのパイオニアとしてやるのかな、と思ってたんだけど。
海:でも、NGOってさ、実行力があってやるわけじゃん。
M:NGOはそうだよ。ボランティアじゃないし。でも、メッセンジャーってさ、仕事のメッセンジャーじゃないよ? メッセンジャーって言うのは実務的なものを抜いてやるから伝わるものがあるわけじゃん。
海:記者とか。
M:記者は違うよ。
海:どう違う?
M:記者はレポーターだもの。
海:メッセンジャーとレポーターはどう違うの。
M:全然違うよ。レポーターは出来事があって、それを報告するだけだもの。メッセンジャーは伝えるものをゼロから作って、自分で発信する。
海:でも、問題意識がなければさ、出来事は発生しないわけでしょ。
M:いや、レポーターは個人の裁量って言うよりさ、出来事の社会的意義、共通性、……つまり俺がどう思うかって言うより、社会的に必要かどうかを判断するわけ。メッセンジャーは主観的な部分がずいぶん入ってくる。それがメチャクチャだったらしょうがないんだけど。だからNGOみたいな感覚でね、あれは実務的に、採算もある程度取れないといけない。日本のNGOは取れてないけど、本当は採算取れてなければいけないし、結果も出さないといけない。遊びじゃないし、大学や大学院で専門的に勉強して、プロフェッショナルとしてやってるわけだよね。でも、メッセンジャーはそういう足枷がないからいいんじゃん。だから、こういう大々的なことをしてる奴がいるんだぞっていうのを、知らしめればいいんだよ、マネする奴が出てくればいい。
海:いや、やっぱり、(その行為を通して)何をしたいかなんだよ。ホワイトバンドってさ、結果的に俺は、ホワイトバンドが六億円の経済効果を出してやったことって言うのは「三秒に一人貧困で死んでいます」っていう強烈な事実を世の中に残したことだと思うんだよ。すごいデカいと思う。
M:それは興味ある人しか知らないんじゃないか?
海:(ホワイトバンドCMのマネして、三秒に一度指をならしながら)浸透してなかった、あれ?
M:してないと思うよ。ファッションにはなったけど。
海:ファッションも大事だと思うけど。
M:重要だよ。ファッションになれば成功でしょ。だから、同じじゃん、(自転車で)走るというファッションなわけじゃん。宣伝マンじゃん。前言ってたろ、自分たちは宣伝マンで、興味持ってくれるきっかけになればいいって。

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(*1)イサムノグチ:彫刻家。ここでは、ドウス昌代著の評伝『イサム・ノグチ』(講談社)を指す。
(*2)小泉体育奨励賞:慶応義塾大学の賞のひとつ。人物が優秀で、かつ健康であり、スポーツを通じて義塾の名声を高めた体育会以外の団体または個人を表彰するために平成6年度に制定された。
(*3)書き進んで:2004年の「ACROSS-AMERICA」プロジェクトを振り返って本にまとめている件について。






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