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> ARTiT「田中功起 質問する 見届けること」
【カテゴリー:アート topic】 (2010/05/15) Twitterでつぶやく

ARTiTの「連載 田中功起 質問する」で、アーティストの田中功起氏は現在、東京国立近代美術館研究員の保坂健二朗氏と往復書簡を交わしている。「見届けること」という件名での保坂氏からの返信が12日に更新された。

ここではアーカイヴ的な情報(作品)の授受について語られている。保坂氏曰く、


(引用始まり)ライヴ性を重視するテレビの時代では「つくる」と「見せる」と「見られる」ことの間に、連続性があったわけですよね。生放送であればリアルタイムでの連続性があったし、収録であっても、それ自体が無効になることはなかった。
 
しかしアーカイヴの時代にあっては、そこに断絶が生じます。「見られる」ことが、ともすれば永遠に先送りされてしまう。すると当然、「つくる+見せる」という行為が孤立する。いや、「見られる」ことの保証がないときに、「見せる」という言葉は正しいのかという疑問すら生じてきます。(引用終わり)

着目すべきは「作る」と「見る」の間の時間的な不連続性である。例えばひとまず作品をサーバーに放り込んで、あとは観者がオンデマンドで引っ張り出すアーカイヴ的な制度を媒介項とするならば、作品が必ずしも同時代人に鑑賞される保証はなく、時として日の目を見ず「作りっぱなし(サーバーに入ったまま)」にさえなる、と。保坂氏はこういうことも述べている。


(引用始まり)僕が思うに、作り手から作品は完全に分離するべきなんです。その時、逆説的に、作品とつくり手は完全に同化することになりますが、いずれにしても、美的体験という場にあるのは、「作者」「作品」「観者」という3つの要素ではなくて、「観者」と「作品(=作家)」のふたつだと考えたい。(引用終わり)

アーカイヴの時代において、作家と観者の間には、時間的な(あるいは時代の変化に伴って変容する価値観の)大きな断絶が横たわる場合がある。そうなると、作家はいつ接続されるか分からない観者との関係性を気にするよりは、まず自分の中の何かを信じて「作る」しかないだろう。一方、時間が経てば作者の意図・思いは風化したり見えづらくなったりするものであり、観者は目の前の作品を「見る」しかない(「逆説的に、作品とつくり手は完全に同化することになります」というのは、目の前に作品という材料しかない観者からすればそう捉えざるをえないというだけの意味)。

ここで「作る→作品」と「作品→見る」はほぼ不連続である。そう考えれば、成相肇氏の『誰も見ていない段階で作品が成立するとはぼくには思えません。物理的な「完成」であっても、作品の「成立」は見る人がいて初めて起きるのではないですか。 物質の方ではなくて関係の方を「作品」と呼ぶのではないでしょうか』という意見を退けることができる、そう保坂氏が言わんとしているように感じられた(前回の返信の流れから勝手に推し量るに)。

確かに、アーカイヴ的な制度は時として「作る」と「見せる」を分断させるけれど、あくまでそれは「時として」であるし、制度も選択肢の一つに過ぎない。「作る」に専念し、そこにこそ本来的意味があるとすれば、アーカイヴに放り込む必要性さえないはずだ。今後も同時代人に「見せる」ことに適した制度はいくらでも選択可能なのであり、観者が「見る」ことで初めて作品が成立するという意識はやはり持ち続ける必要性があるだろう。さもなければ「作る」行為の社会性があまりにも欠如する。

アーカイヴ的システムがネットワーク化の時代の一側面に過ぎないと考えれば、作品提示に連動した形で実装されるコミュニケーションツールによって、「作る」と「見せる」は分断どころか密接になる可能性の方が高い。ただし、二次創作やyoutubeでの違法アップロード、タンブラーなどによって作家の意図した文脈から切り離され作品が断片化されていくこともまた同時に想定され、この断片化(あるいは断片と断片の再構築化)による「作る/見せる=作家/鑑賞者」構図の権威失墜もまた無視はできない。



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