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> 新潟市美術館問題は美術館問題(カビ、虫、北川フラムはさておき)<8>
【カテゴリー:アート topic】 (2010/05/31) Twitterでつぶやく

新潟市美術館問題。椹木野衣氏がARTiTで、「美術はだれのもの?」と題しこの問題に触れている。


「土や水気のある作品を展示すること」は、先端的な現代美術の表現史においては非常識であるどころか、ほとんど常識にたぐいする(中略)。土や水(中略)を美術館から閉め出し、過去作品の保守管理を潔癖主義的に強化するだけでは、日本の美術館での表現は不自由になるばかりだ(事実、今回の一件以後、これまで現代美術に積極的であった2、3の公立美術館や、元来は収蔵とは関係のないオルタナティヴ・スペースでも、土を使った展示に慎重となる向きが出ていると聞く)。(引用終わり)

まだ前編のみの更新だが、このような言説が登場していくらか安心した。この問題は美術関係者が表向きスルーしたせいで、ほとんど一般紙でのみ扱われてきたため「保管研究がおろそか→美術館の体をなしていない」という論調一色に染まっていた。その考え方も一方にあるべきであることは確かだけれど、僕ら一般人の思考の手がかりの選択肢があまりにも少なすぎた。

→新潟市美術館問題は美術館問題<1><2><3><4><5><6><7>

もっとも、椹木氏は一般紙や反北川派の言説に反論しようという趣旨ではない。後編を待たなければ分からないが、おそらく、歴史を振り返りながらある種の世間の思い込みを慎重に解きほぐすことが狙いだと思われる。彼はこうとも指摘する。


官営の絵画展である第1回内国絵画共進会(1882年)(中略)を主宰したのは文部省ではなく当時の農商務省(中略)。つまりこの時点では、日本の近代美術をめぐる行政は明確に貿易的、物産的視点を備えていたことになる。(中略)この頃の政府による公式の美術観には、作品の保存や教育普及ということを超えて、広く興業や観光の財としてそれを活用することも含まれていたのである。(引用終わり)

前にも紹介したが、更迭された前館長の北川フラム氏はかつて次のような発言をしていた(参照)。


いままでぼくが戦略的にやってきたことというのは、要するに文部科学省ルートではなく、国土交通省ルートで美術市場を開拓することだった。(引用終わり)

もちろん、椹木氏は歴史的事実を述べているに過ぎないわけだから、両者が同じ思いを抱いているとかそういうことを指摘するつもりはない。ただ、現在、国内における美術は文科省の所管であるが、必ずしもそれは当然ではなく、あるいは別の在り方もあるのだということがこの2つの引用から導けるだろう。

美術館は社会教育施設とみられている向きがある。もっとも、上野の森の大行列を見れば、誰もそれを社会教育施設の観覧者とは思わないわけだけれど、ともあれ、建前ではそうなっているし、美術館関係者の多くもそういう自負があるのではないか。そして、文科省的価値観を離れて、美術館の興行的・観光資源的側面を前面に押し出す者は“異端者”扱いを受ける。

北川フラムはまさにここで言うところの“異端者”の典型であり、多数の批判を受けるフラジャイルな位置にいたものだから、カビと虫の発生で簡単に首が飛んだ。毎日新聞のような一般紙の記者は、管理責任を問うことばかりに終始して、日本のマスコミの問題意識の低さを露呈させた。いや、もちろん、管理責任は発生する。当時館長だった北川氏は悪い。しかし、そこに議論が終始する視野の狭隘さに僕は愕然としたのである。「適正管理していればそれでよし。以上」。ヘッポコヘッポコピーにも程がある。

日本の美術館は破綻が表面化してきた空港問題に立ち位置が似ている。どちらもいわゆる箱物行政の産物である。

この国では、自治体ごとになければいけない基本スペックの一つであるかのように美術館は乱立している。文科省の調査によると、平成20年度の美術館数は1101(美術館449+美術館類似652)であり、つまり各都道府県に23.4施設ずつ“配備”されている計算になる(ちなみに博物館という広いくくりで言うと、博物館類似を含め5775施設もある)。もちろん、美術館も形態・内容は千差万別であるから数だけ提示してもあまり意味はないものの、国内に美術館が多いことは間違いないだろう。着目すべきは、これだけの施設が、何の要請から生み出されたものかという点だ。僕には「応接間には絵ぐらい飾らないとな」程度の安易な動機で、国からの建設補助金を当てにして建てられたようにしか思えない。

1101施設、いやその半数であっても、優れた作品で満たし、学芸員たちが望むような展示保管研究の機能を十全に果たさせることは夢幻の世界である。何せ先立つものがない(十全に機能するよう費用をかけるべきだという要請が納税者側にない)。博物館全体で言えば、7割が公立施設である。はっきり言って、これから人口減少と高齢化が急速に同時進行する時代に、民生費を確保することさえ不安視される中、これだけの数の美術館が税金で維持されるべきだとは到底思えない。現実的に考えて、閉館される美術館は少なくないだろう。と、ここまで先が見えている折に、多様性を促したりミュージアム・マーケティングの必要性を説くどころか「適正管理していればそれでよし。以上」の薄っぺらい記事が書かれる体たらくである。

適正に管理しなければならないのは言わずもがな。しかし、それは手段であり美術館の目的ではないのだ。管理のための管理はばかばかしい。北川フラムを責めることは構わないが、彼を切り、かつての学芸員を復帰させれば「以前のまともな状態に戻る」と考えるのは浅はかである。これだけの数の美術館がなぜあり、今後激減せざるをえない中、どのような美術館こそが残るべきなのか。これを考えるためには、一度そもそも美術館がどう在るべきなのかを徹底的に再考する必要性があるだろう。「まとも」な状態に原点回帰しました、めでたし、めでたし、では、本当におめでたすぎる。

→新潟市美術館問題は美術館問題<9>


記者の目 新潟市美術館の“かび”騒動=立上修(東京地方部)(毎日 2010年04月14日)
 ◇作品保存・研究の原点に返れ
 新潟市美術館で、かびやクモなどが展示室内で発生するという前代未聞の出来事が明らかになった。私はこうした事態を招いた「管理レベルの低下」の大きな原因として、新潟市美を巡る篠田昭市長を中心とした独断的な運営と、ベテラン学芸員3人を異動させた人事を取り上げた(東京本社版3月21日朝刊)。学芸員資格を持つ私は、首長の美術「観」がストレートに美術「館」のあり方を左右することの危うさを感じる。同じことは他の公立美術館でも起こり得るのではないか。
 篠田市長は07年4月、アートディレクターの北川フラム氏を新潟市美の館長に招いた。北川氏は現代アートの国際展として著名な「越後妻有(つまり)アートトリエンナーレ」の総合ディレクターとして知られ、その手腕に期待してのことだった。北川氏の就任とともに、ベテラン学芸員3人は職員健康管理課などに異動となった。篠田市長は外部団体からの質問状に「他の職場で行政事務を経験することで、職員の視野が広がり、さらに活躍の度合いが高まる」と回答している。だが、学芸員の1人は85年10月の開館以来の生え抜きで定年も近い。3人をなぜ異動させたのか、篠田市長の本音は明らかでない。
 ◇クモなども発生、仏像展中止に
 北川館長体制の抱える問題は、企画展示室内でのかび発生という形で09年7月に明るみに出た。関係者によると、その後も、館内の清浄度を示す浮遊菌の数値が安定しないうちに、最も厳しい管理が求められる収蔵庫から、所蔵作品の出し入れや他の美術館への貸し出しが薫蒸をせずに行われていた。10年2月には、薫蒸せずに持ち込んだ展示作品からクモや甲虫類が計34匹も確認された。
 新潟市美では今春、国宝や重要文化財の仏像15点を展示する企画展「奈良の古寺と仏像」を予定していたが、かびに続いて虫が発生した報道を受け、文化庁は「管理、運営の体制に十分な信頼が得られない」と貸し出しを認めない方針を示した。
 篠田市長は北川氏を3月12日付で更迭し、自ら館長を兼務。文化庁に足を運び、新潟市美での仏像展開催が難しいと分かると、新潟県長岡市の県立近代美術館を会場とするために動いた。本来は新潟市美の体制立て直しを最優先にすべきだったが、篠田市長の一連の動きは、美術館を活用して地域を活性化しようという狙いばかりが感じられ、美術館の原点であり本来の使命である作品の保存・研究という視点は全くうかがえない。
 ◇地域活性化の狙いが裏目に
 新潟市美の所蔵作品は絵画や版画など約3300点。自由に組み合わせて常設展を開き、小規模ながら良質な美術館として知られてきた。しかし長谷川義明・前市長時代の99年4月、市教委から市長部局へと移管。博物館法で定める「公立博物館」(博物館登録施設)ではなく「博物館相当施設」になった。市教委の所管から外れることは、文化庁、県教委の管理も及びにくくなることを意味する。当時を知る関係者は「すべての文化施設を市長部局に移管して予算を潤沢に確保し、文化に力を注ぐ考えだった」と振り返る。それが、美術館本来の使命からの逸脱という形で裏目に出た。
 全国を見ると、美術館に限らず、市長部局への移管どころか、文化やスポーツの公共施設の運営に民間参入の道を開く指定管理者制度を取り入れる自治体が増えている。地方財政の効率的な運用が目的だが、文化庁の担当者はこう警鐘を鳴らす。「指定管理者制度などで、美術館や博物館を巡る環境は変わってきている。市長や知事の肝いりで名物文化人が館長になり、伝統や蓄積を切って目新しいことをするのは、構図としてはあり得るが、うまくいった例はあるのか。新潟市美で起きたことから学ぶことは多い」
 一枚の新潟市美のポスターがある。女性がフロアにあぐらをかき絵画を鑑賞している。添えられたコピーは「そこから、ずっと動けなかった」。新潟市美を追われたベテラン学芸員が制作した。ベテラン学芸員3人が作った解説パネルは3人目の異動日に撤去されたが、ポスターは最近まで美術館に張られていた。「芸術とどのように親しんでほしいか」を表している点で、私はポスターが「市民の美術館」として新潟市美が継続している象徴だと感じた。ポスターを残していたことは、新潟市美のそうしたあり方に篠田市長も共感する部分があるからだと信じたい。であれば、ベテラン学芸員を復職させ、市教委に所管を戻して立て直しを図るべきだ。今からでも遅くない。




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